平成23年5月8日(日) 晴れ 26℃ 帝国ホテル 富士の間
ディナー18:30〜19:30 トークショー19:45〜21:20
富士の間入り口のお花もグリーンと白

グリーンのカクテル
黄色のリストバンドとともに
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テーブルのお花も白とグリーン
白をメインにパチリ

グリーンをメインにパチリ テーブルのお花、ホテルの方におことわりしていただいてきました。
モスコミュール
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魚介類盛り合わせ菜園サラダ仕立て
マスタード風味のビネグレットソースで |
プチトマトの4分の1ぐらいのちっちゃいトマト
初めてお目にかかって
あんまり可愛くて食べてる最中にパチリ
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コーンとトマトのチャウダー
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旬の鶏魚のポワレ バジルとケッパー入りソース
ポテトと季節野菜添え |
森の果実のなめらかムース 苺のジュレに赤オレンジのシャーベットとともに
コーヒー
ソルティードックを飲んでるひともいて
2011年、最初のトークショー
お題が発表されて、みんなあれやこれやで富士の間に入るために、電話の争奪戦、いつも以上にタイヘンで発売日には開始から50分ぐらいで売り切れ。キャンセル待ちが100件ぐらいあったと伺いました。私もじゅりともさんのおかげで、なんとか富士の間に入場できました。お席ははじっこで、斜め方向からJulieを拝見。
♪緑色のKiss Kiss Kiss♪
横浜の空から・・・と流れる中、Julie登場。
下手、上手、真ん中へお辞儀。
今日の衣装はお正月に着用したうす紫色のグラデーションのジャケットに、濃い紫色のズボン。
中には紫色のシャツ(見えなかったけれど)
髪は探偵さんの栗色でオールバックじゃなくて残念。髪はやっぱり自然な銀色のほうがお似合いだと思います。次回のコンサートの時には、染めないでそのままでお願いします。
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そして、4月28日サザンシアター、「探偵〜哀しきチェイサー」夜の部から配布された黄色のリストバンドをさりげなく時計と一緒に左腕にしていました。
私も配布された当日と5月1日そして5月2日千秋楽、そして今日も腕につけていました。
遠方から来たじゅりともさんたちは、まだ配布されないうちにお芝居を観たのでまだ手元にありませんでした。もうじき澤會さんからインフォメーションと一緒に届くようです。
降り積もる名古屋で パープルのヒラヒラが気になって、せっかくのまじかの席で Julieのお顔みればいいのに あのひらひらを じ〜〜っとみつめて
Julie、リストバンドしたその手で あの綺麗な指先で ひらひらを触ってました。
62歳のJulieが、ジャケットの胸から切り取ったような花びらや葉っぱのカタチをしたひらひらに触るなんてちょっとドキドキ。やっぱりJulieの手は妖しい指先だわ。指先だけは昔のまんま青年のようかしら。
あの日から初めてのお言葉。
タイヘンなことが起こってこんなことをしてていいのかと思ってしまう。
自分はできることを、普段どおりにやる。
ノーテンキにこんな話をして申し訳ないけど
CMでひとつになろうと言われても、気持ちはわかるけど そうはなれないって思う。
最初のお話は、あの日私も同じ場所で経験した
3月11日午後2時46分、佐野市文化会館での出来事からでした。
探偵〜哀しきチェイサーの舞台で佐野で昼公演をしているときのこと。
ノーテンキな踊りを始める前のセリフを言っているとき
カウンターにいて肘をついているときに揺れてるなあと思った。
そのときに暗くてお客さんのほうは見えなかった。
照明が揺れて当たって音がしていて凄いリズム刻んで。
照明がぶつかる音、いろんなリズムで表現するJulie、口で楽器の演奏するひとみたいに
お上手でした。あのときJulieは照明が見えないカウンターの奥にいて音だけが聴こえて。
私は客席から舞台の上の方にたくさん並んでいる照明がガチャンンガッチャンと凄い音を
たてて揺れて照明が落ちてくるんじゃないかと怖かった。
「一体、何があったんや」というセリフの時。
凄い揺れていて誰が止めるんやろ?わしが止めるの?って頭によぎりながらも
早く舞台監督がでてこないかなって思っていたJulieでした。
すぐ揺れがおさまるだろうと思った。
揺れが終わったら何事もなかったように続けようと思った。
どうしようもないときもある。
長い間、今までもいろいろあったJulie。
コンサート会場で停電になって、懐中電灯で自分の顔照らしてオバケとかやってみたり、
拡声器もって、停電ですって言ったり、いろんなことがあったそう。
いつかJulieのコンサートで、開演5分ぐらい前に大きくグラっと揺れて客席がちょっと騒然と
なったけれど、すぐに揺れがおさまって、何事もなかったようにコンサートは普通に始まった。
後から、新潟で新幹線が脱線したり、大きな地震だったことをJulieから聴いて怖かった思い
出もあったり。
あのとき同じ客席にいた関係者の証言
客席にいた○キノさんは建物の中にいたほうが安全と思っていたり。
助手の○タオカさんが舞台監督に言いに席を立った瞬間に客席がみんな動いた。
客席の後ろの状況はわからなかったけれど、私は会館の壁が軋む音や地鳴りの音で天井
が落ちてくるような恐怖で早く逃げ出したい思いだったけれど真ん中の席でそうもいかず。
そのとき周辺は、みんな冷静で、舞台監督さんの指示がでてから、みんなと一緒に非常口
から避難した。
舞台監督が舞台にでてきて客電がついて
出演者も全員客席におりてお客さんと一緒に避難するようにと告げられた。
舞台監督さんとJulieの会話は目の前で見ていたのに聴こえなかったけれど
「なんでお客さんとこに行くの僕そんなのイヤ」 なんて誰かさんはふきだしがでていたもよう。
Julieが客席の方に手を向けてお客さんを先にみたいな仕草はそんな理由だった?
風の便りで、避難して外にでたときにJulieのそばに行ったフアンもいたそうで。
誰かさんはさぞ。。だったかしら。
タバコ(ネオシーダ)を吸ってる場面だったので火の始末に困った。
バーカウンターに灰皿はあるけど危険だからといわれたので戻れなく
避難する途中に灰皿がなくて、楽屋は禁煙、楽屋口の喫煙場所に行ってようやく消すことができたそう。
佐野市は会館は停電にならなかったけれど宿泊先のホテルは停電
主催者のマイクロバスで帰ろうとしたけど東北自動車道も通行止め、一般道もタイヘンそうだし、
あれやこれやで、連絡とるにも電話が繋がらないので全員ホテルに泊ることになったそう。
宿泊先は踏み切りの近くで、停電なのにずっと閉まったまま鳴っていたそう。
余震が怖いのでホテルで毛布をもらってそれぞれロビーのフロアーだったりソファーだったり。
余震で揺れて外にでようとしても自動ドアが開かないので手でこじ開けて
開ける仕草を実演してくれてたJulie。
私がいた避難先では停電なのに自動ドアが作動していて、ひとが出入りするたびに、外の
冷たい空気が入って凄く寒くて、自動で開かないように手動にしてくれていたり。
Julieは7階の部屋だったそうで、エレベーター止まっているので、余震の心配もあり
1階のフロアーにいたそう。女性の出演者も全員1階に。
関係者の男性たちは停電の真っ暗な部屋で寝ていたひともいたもよう。
余震がきて携帯のアラームがなって逃げたときの様子
揺れたらさっと動いて
自動ドア手でこじ開けて
夜空見上げて 星がキレイだ〜
寒い〜
こんな行動を何度も繰り返したと実演つきで報告してくれたJulie。
そんなJulieから 数キロ離れた佐野駅で帰宅困難になった私は配布された毛布に包まって
パイプ椅子に座って、Julieは今頃どうしているのな話もつきて、揺れるたびに逃げる体勢に
なってドキドキして。それでも一度も外へでることもなく、毛布にくるまって真っ暗な町を夜通
し巡回しているパトカーの赤いランプをながめたりして。
真っ暗闇の中の赤いランプ 妙にキレイなんて感じていたり。
余震で何度も外にでながらも、繋がらない携帯で連絡をとり続けたそう。
男性の役者さん二人はずっとお酒飲んで芝居の話をしていたそうで
女性の役者さんに静かにするように言われたりJulieもうるさいなと思いつつ眠れなくて
開かない踏切がずっと鳴っていて アッカン アッカンって聞こえたそう。
携帯の充電器をとりに真っ暗な階段登って7階まで上がって。
怖がりだから誰かついてきてって思っても、
○キノさんも演出助手の方も部屋でぐっすり?お休みになっていたそうで。
だから真っ暗な階段ひとりでのぼって、7階まで行くうちに汗だくになって
部屋に入って充電器みつけた瞬間に「停電や、停電でどうやって充電すんの」と
笑い話のようなほんとうのJulieのお話でした。
横でうるさくて眠れず余震で何度も外にでて、頭がぼ〜っとしていた誰かさんの行動でした。
7階まで階段あがるJulieの様子、計画停電やら余震やらで自宅のエレベーター怖くて
使用せず、てくてく階段のぼったり降りたりしたことなど思い出しながらJulieのお話し
聴いてたり。私が避難していた場所は自家発電機?があったので、いろんな携帯の
充電器用意してくれて、みんなで順番で充電できて助かった。
私のいた場所も朝になってようやく電気もついてテレビもついて、ラジオでしか知らな
い昨日の出来事が未曾有のできごとだと知って、空腹感があったのに配布された
おかゆは全部喉をとおらなかった。
Julieと役者さんたちは翌日、東京までマイクロバスで。
途中で反対車線を救急車とパトカーが数十台も連なってすれ違った。
こうやって話せることぐらいですんでよかった。
被災地への想い
ほんとうに真っ只中にいたひとはタイヘンんだったと思う。
今もタイヘンだろうけど、代わりになれないけど被災地に気持ちは送ることができる。
関東もいろんなことで影響を受けているから、自分たちができることやりつづけないと。
義援金を出すこと、集めることはいいことだけれど、ひとから集めることはしたくない。
フアンのひとから集めることは僕にはできない。
出すなら自分で。できないならやらない。
誰もやらなかったら自分がやる。
義援金、すごい金額が集まっているのに、いまだに被災地に届かない。
ボランティアも継続することが望ましい。
いつもどおりできるひとはいつもどおりやったほうがいい。
義援金をおくることも方法のひとつだけど、私は普通のことをしながら被災地のモノを
買って間接的に復興へと繋げて、想いが届く近道のような気がしたから。
今年の夏の心配から昔のこと。
子供の頃は氷で冷やす冷蔵庫で砂糖水を冷やして、それが唯一の楽しみだった。
庭で行水したり、母親はてぬぐいをゆるくしぼって肩にかけていたり
研ちゃんもしなさいって言われてひゃっこいなって可愛くその頃の研ちゃんを再現してくれたJulie。
うちにお風呂もなかったのでタライにつかって、
洗濯もタライでして泡のたたない石鹸で足で踏んだりして 洗濯する姿の実演つき。
電気洗濯機のこと、しぼり機で厚いジーパンをしぼる様子を実演。
タライで行水もして同じ時代を経験している私、懐かしいあの頃に戻れました。
お母様のことを語るときはいつも研ちゃんになるJulie。
節電のこと
年を重ねて、眩しいものに対応できなくなってきているので、薄暗いけど、これで充分だと思える。
計画停電も不公平。
県庁所在地や外国の領事館があったりすると停電にならなかった。
計画停電で地元の地下鉄は走らない時間帯もあったり、ローソク準備していたけれど
家の電気は消えなかったり。住んでる場所によってそれぞれの計画停電だった。
体のメンテのこと
地方に行ったときは喉、声帯も診てもらったりする。
遠くに行くときはその場所の診察券をオサイフに入れて持っていく。
神戸で歯が痛くなって診てもらった。歯を削る音、あの音が好きだそう。
若いときにかぶせた歯、削ってもらったのに、どっちだかわからなくなっちゃう研ちゃんでした。
最近は神経も高齢化してきたそうで。
秋までの期間にあれやこれや体のメンテナンスをするそう。
ザ・タイガースのこと
今日のお題のこと、「ザ・タイガース君だけに愛をとはとわに、ああ花の首飾りとは」
タイトルつけたひと曰く、このタイトルは各自が自由に受け取っていいらしい。
ザ・タイガースをやりたかったと過去形のJulieからの報告。
やりたくないひとが悪いわけでもない。
自分のやりかた、考えかた、生きかたで 自分も含めて
それぞれがそれぞれの人生を一生懸命にやってきた。
ザ・タイガースは確かに凄かった。
ザ・タイガースを知っていても観ていないひとのほうが多い
そのときに生まれていなかったひとがたくさんいる
今だったらたくさんのひとが観にくると思う。
ザ・タイガースを本当の意味で残すためには
みんな(ザ・タイガースに関係したひと)が何のわだかまりもなく集まることが大切。
僕はザ・タイガースに奉仕する気持ちだった。
集まったひと、それぞれが意見が違った。
最初は5人で始まり、カツミが抜けてシローが入った。
カツミがいなくてもシローがいて業界的にはそれでもザ・タイガース。。
自分たち(4人)は「全員そろわなかったらやらなくてもいい」と思った。
チャンスはあると思う。
裕也さんと ザ・ワイルドワンズとやって 今年の予定はザ・タイガースだった。
ザ・タイガースをやることでザザ・タイガースという名前がより大きくなる。
やらなかったらザ・タイガースは過去のものでしかない。
ピーの出版記念パーティーでのこと
誰かさん、記念写真におさまるとき、嫌な気分にもなったりしたらしい。
大昔、横浜のコンサートで誰かさんが言った言葉を思い出した瞬間だった。
秋からのコンサートは全部ザ・タイガースの曲を歌ってくれるそうで
知らない曲もあると予告してくれたJulie。
知らない曲はザ・タイガースまだ観た事がないひとたちに向けて?
60歳になる前からずぅっと考えていたそうで、3年以上も前からあれやこれや
ザ・タイガースに想いを馳せていたJulieのようでした。
メンバーの嫌なことは止めようと思ったそうで
この年になって人に合わせるのはたいへんだから
できなかったら今までどおりにやっていけばいいと。
相変わらずのJulieも続行していってくれそうな言葉が嬉しかった。
何歳になったらできるのか、このまま終わってしまうのかわからない。
でもザ・タイガースをやりたい気持ちは全員がみんな同じだと思う。
お返事くれないひとと やり方が違うだけらしい。
みんな譲れないところがあるんだと思うって
ザ・タイガースにならなかった理由を教えてくれた。
お酒のこと
昔、ピーはお酒が一番強かった。
2度倒れているので今は身体に気をつけながらだそう。
今一番強いのはサリーと僕。
昔マージャンは強かったけどお酒は飲めなかったのに
そんなサリーが今は最後までつきあってくれるそうです。
こんなにお酒が強くなっていいのかしら?って。
でも成長の糧だからって。
いいのいいのと誰かさんに言ってあげたいお酒が友だちの私。。。。
40年経って、昔の仲間とお酒を一緒に飲めるようになってよかったね。
ピーがラジオにでるときはタローからメールが届いたりするそうで
ラジカセが言えない誰かさん。
テレビでのこと
ベストテンで毎週いろんなことやらされた。
♪六番目のユ・ウ・ウ・ツ♪の鬱が書けないからカタカナにしたのに、書けますかと聞かれて。
あの頃、鬱という字が書けて何になるのと思いながらやっていたそう。
沢田研二ショーでもいろんなことやらされて。。。。
当時を懐かしく失敗も反省も含めて思い出していたJulieだったかしら。
テレビから消えていく方向になって実演派になった。
失敗の数ほど成長していく
体だけじゃなくて中味も知らず知らずのうちに成長していく
人間のふくらみが蓄積されていく
それで今の僕があると中味もまあるいカーブも含めて自分を分析するJulieでした。
歌詞について
阪神淡路大震災のときに「♪自信がないという・・・・」の歌詞を歌っているときに
地震の文字が思い浮んで、こんな歌を歌っていいんだろうかと思った。
♪僕は決めたけれど 君は自信がないと言う〜
Julieが口ずさんだときに♪Dont' be afraid to LOVE〜が頭に浮かんで
Julieが作詞した曲でした。
今思うこと
日本が滞ることがないように 日本の歩みをとめないように 続けるために
こんなときは元気な人間がいつもどおりにやることがいい。
今自分たちがいる場所をまもることしかできないけれど
ココロの準備はしておいたほうがいいって。
一日も早い復興をと思っているけれど
タイヘンな経験をしたのだから急がなくてもゆっくりでいい
そんなに頑張らなくていいと。
元気なひとには普通に聞こえても 弱っているひとには届かないのではと僕は思う。
だから一日も早くでなくてもいい 「いつかでええねん」
みんな若くないから間に合わないひとがいても「ええやん」
数年前に前を見ることがわからなくなってゼロよりマイナスになったときに
センセイから同じような言葉を聞いた私だった。
お芝居を中止にしなかったことについて
こんな時期にこんな事をやっていいのか と思ったけれど
できない時にはできない、しょうがない、と思う。
止めたひともいたけど ガラガラでもやったひともいる。
どちらも正解。横並びになる必要はない。
夏場の昼公演を自粛するような傾向だったので、できるときにはやったほうがいいと思ってやった。
流行りモノで物事がすすんでいくことがないようにと心配しているJulieでした。
トークショーも10数年。チラシを集めたらどんなものを作っていたんだろうって。
この先ずっと続けられるかわからない。
こういう時期にトークショーやるのはつらい。汗をふきながらの気持ちでやっている。
こんなときに来ていただいてありがとうございます。
身の回りにたいへんなことが起こらない限りは相変わらずがいいと。
どこかで休むと動き出せなくなって止まってしまいそう。
好感度を上げていくというワザを持ち合わせてない。
どちらかと言うと嫌われるように。。。。
選ぶのはみなさんだから。
選ばれたんです・・・・
選ばれ続けるかどうかわからないけど。
あれこれやっても40年は続かない。考え方をすこしづつ変えていく。
みなさんもそうやってきたんだろうけれど、対応できないひとが病気になったりする。
世の中からみたら病気になるひとのほうがノーマル
僕らみたいにうまくコントロールできることのほうが異常なんだと思う。
フアンについて
毎回毎回審査をうけているようなもの。
おもしろくないとか、もう来ないって思っても来るのは バケモノ。
世の中ではこれがフアンというもの、世間にフアンだと思われるのも考えもの。
いつかは変わっていかないといけないでしょう?
ファンのためにではなく自分のためにやっている。
応援してあげてるというのは嫌だ。
ファニーズの頃はフアンが少なかったから 大事だった。
人気がでたら ナマイキだと言われ、失敗もいっぱいしてきた。
ありがとうも絶対言わない。
私たちからみた自分のこともちゃんとご存知の様子で。
これもひとえに私の努力の賜物です。(客席で拍手するひともいて)
拍手の意味は?
こういうしらっとした関係がいいねってJulieは言う。
いつか平行線でと。Julieがいう平行線の間隔を保ちつづけていくのが望ましい?
ひとによって、その間隔の距離をすごく短くしているひともいたり。
その距離を短くすればするほどJulieから遠くなるような。
つかず離れずのJulieとの関係、お互いにおじいちゃんとおばあちゃんになっても
そんな関係でいられたら最高。
働くことで自分が成長していくことを感じながら
これからも 自分の考えをちょっとづつ通しながらやっていくそうです。
「見えないところで切磋琢磨しながら・・・
いざと言うときのための心構えを忘れないように」をココロに刻んで
富士の間の余韻の締め
今回は時間をもてあますこともなく、予定時間を5分オーバーして終了しました。
お題のことより あの日の体験談に多くの時間をついやしたJulieのおしゃべりでした。
それでもちょっぴりJulieのザ・タイガースへの想いも聴けて。
お題のことよりJulieと一緒の空間で生まれて初めて体験したこと、Julieが貴重な体験談として語ってくれて。あのとき怖くてその後に再びあの同じ席でJulieが演じるとこ観る勇気がなかったけれど、Julieの体験談を先に聴いていたら、あの日と同じ席に座れたのかななんて思ったり。
平成23年5月10日(火)雨 帝国ホテル大阪 孔雀の間
ディナー18:00〜19:00 トークショー19:15〜
東京のトークショーでザ・タイガースへの想いをJulieから聴いて。
翌日5月9日に澤會さんから2011年1号のJULIE INFORMATIONが到着して、秋からのJulieのLIVEツアーに瞳みのる・森本太郎・岸部一徳の元ザ・タイガースの3人の名前がゲスト出演の形で発表された。
9日現在オフィシャルは更新されなかったので、この事実は澤會やココロに登録しているひとだけに知らされた。その翌日にまだ大阪のトークショーがあったので、とりあえずトークショーの内容のことは書かずにおこうと。
で、その翌日、大阪のトークショーで不在中にオフィシャルも更新されネットをしている澤會やココロに登録していないひとにもJulieのLIVEに3人がゲスト出演することが公表された。
だからこそ大阪のトークショーではお題のつづきが注目された?のかな。

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作年、10年ぶりに行って3回目の大阪のトークショー。
今年は10年前と同じにお泊りもここ
雨模様、部屋の窓から赤い観覧車も うっすらグレーのベールかぶって。
10年前に、Julieが部屋から観覧車が見えるって言ってたかな。
♪雨 雨 降れ降れ 母さんが・・・・ なんて歌って
♪あの日も雨♪ だったかな。 |
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そんな10年前のことなど思い出しながら16階の部屋でのんびり過ごして
友と廊下で待ち合わせし階下へ。時間ギリギリに行ったので、すぐにチケット受付窓口へ。
東京の帝国ホテルと違って、ひとりひとり席まで案内してくれて。
テーブル番号書いてあるから案内は不要だけど。少し前方のはっじこから2番目のテーブル、斜め方向からJulieを拝見することに。Julieが登場するカーテンの前あたり。
トークショー数年ぶりの前方テーブルにちょっとわくわく。知ってるひとに挨拶したり、されたり、入り口で記念写真撮ったりしながら。
孔雀の間入り口、東京とは違って ディスプレイされたお花もなく ちょっとさみしい雰囲気も昨年と同じ。大阪は お花が賑やかでなくても テーブル席に座るひとが賑やかな雰囲気?

テーブルのお花 東京のようにグリーンを基調に

ホテルのかたにおことわりしていただいてきました。
空を飛んできたグリーンのお花、照明の色が違うから花器が違うから ちょっと違う雰囲気。
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隣の友たちが到着が遅かったのでディナーまでの間、一人で乾杯もさみしいので美味しそうに飲んでる左側のひとたちに話しかけて。黄色のリストバンド、Julieもつけていること告げたら、昨日届いていたのにつけてくればよかったと残念そうでした。
若くてキレイな奥様ではなくダンナ様がJulieのこと好きでした。 |
ワカモノ男子がJulieのこと好きになったときのエピソード
あるとき、大阪ミナミのディスコでのこと。
オープンイベントのゲスト二人のあとに、穴のあいたジーンズにTシャツそして毛皮を着たJulieが登場。Julieを紹介する歌手も人気ものだったけれど、その紹介の仕方にココロ打たれ、登場したJulieが超カッコよかったそうで、その瞬間から今日までだそう。ワカモノ男子が少年でJulieが毛皮を着ていた頃だとPYGの頃かソロになってからかな。
毛皮のコートを着ている頃、どっかで。。。。いつだったろう、毛皮のぽっけの中とか。。。。
その頃のJulieに想いを馳せながら あれやこれや グラスが何度かかわって。
好きなモスコミュールはなくて、ジンライムもなくて、最初はジントニック?
白ワインも飲んだりしながら。
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Julieのこと好きなワカモノ男子の超キレイな奥様 |

メニューがお魚になっていなくて残念。
お魚は何て名前だったか聞くの忘れた? |

赤ワインのグラスに
もうひとつのグラスとテーブルのお花も写って
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サーモンと海の幸のミルフィーユ 彩りの野菜を添えて

クリスタルコンソメスープ タピオカを浮かべて
タピオカ、0個のひともいたり9個も入っていたり新米さんだったのかしら。
赤ワイン注いだあとのふきふき忘れて テーブルに雫でした。
回を重ねて経験積みましょう。おばさんたちどれほど回を重ねたかしら。

お肉のメニューには
野菜のピュレをまとった牛フィレのロースト マディラ酒が香るソース
お魚の名前聞くの忘れて残念。
バラが香るライチのムースに赤い果実ソースを添えて
いつもデザートゆっくり味わえなくて残念
昨年は後ろの一番はしっこ。
今年は友が数分で繋がって ようやく数列前進して東京よりちょっと多い?全部で51ぐらいだったかな。
いつも、一番後ろの席でもメイク直しするのに、せっかくの前方だというのに、鏡を見ることもすっかり忘れて、どうせ見ていない研ちゃんだから。。。。
トイレ行列から席に戻って デザートあわてて食べて コーヒーもそこそこにみんなオシャベリ聴く準備。いつか、どこかのトークショーで皆があんまりメイク直しに時間がかかって、カーテンの向こう側で、じっとスタンバイしてなかなか出て行けないなんて待っていた研ちゃんだったけれど。
今日もカーテンの向こうで覗いているかしらなんて。後ろの出口よりカーテンのそばだからあれやこれや。
椅子の向き90度かえたら隣のテーブルの方、昨年後ろのテーブルでご一緒した方でした。あれやこれや話しが盛り上がってJulieをお迎えする準備万端。
♪緑色のKiss Kiss Kiss♪が流れる中、Julie登場。
もうネットで登場曲も知れ渡っているから?東京より手拍子もきっちりそろって。
下手、上手、真ん中へお辞儀。
客席見渡し、いきなりあとずさりして舞台のうしろのカーテンのところまで下がるJulie。
カーテンに隠れてくれたらもっと面白かったのに。。。。
客席がずんずん押し寄せてくるから、ずんずん下がっていくって。
みんなが椅子の移動して前進していく様子見ていた?
登場していきなり大阪バージョンのJulieでした。
東京と同じ方向からJulieのお姿拝見。
髪は栗色、探偵さんと髪型違っていい感じ。薄紫のグラデーションのひらひら、くっきり見えて今日はそこに触れるかしら。濃い紫のズボンに紫色のシャツにビーズみたいな模様も見えて。
東京では遠かったから、そんな細かなところまでついつい確認しちゃって。
そして、お題で今日がトークショー初めてのひとも多かったようだから
今回は特に押し寄せるくらい来ていただいて
嬉しいやら 迷惑やら よくわからない なんて大阪ならでは?のご挨拶も。
被災地への想い
日本は今たいへんなことになっているけど、関西も阪神淡路大震災経験して
日本は地震の多い国だったこと、やっとこの年になって自覚した。
僕は何もできなくて、気持ちだけは送っているつもり。
ああいうところに行っても無力なだけだから
自分のできることをいつものようにやっていくのが自分に合っている。
震災に関すること、すり抜けるわけにはいかないけれど
世の中のために何かができるとは思っていない。
期待されるより、小言ジジイ、ヘンナひとと思ってくれたほうがいい。
ああいうところに行っているひとそれぞれだから。
でも、もし私が被災地にいてJulieが来てくれたら嬉しいって思うかなぁ。
そういうことしないJulieのこと好きって 今回テレビを見ていて改めて思った。
私は個人的なことで被災地でハーモニカ吹いたひとに涙がでたけれど。
被災体験談
今年はたいへんなことになって。
僕たちは誰も怪我することなく無事でよかった。
被災地の方たちとはくらべものにならないけれど貴重な体験をした。
佐野で探偵〜哀しきチェイサーという音楽劇をやっていて
前日に初日を迎えて、次の日の昼の部、始まって一幕の4場。
♪フラレ男のヨーデル♪
ノーテンキな歌を歌う前に芝居をやっている最中に揺れてきた。
バーカウンターでタバコ(ネオシーダー)を吸いながら
揺れて、地震やわ〜と思いながらやっていた。
すぐに揺れがおさまると思っていた。
舞台の天井につってある照明が大きくヘン拍子で揺れて、どんどん複雑なリズムになる。
照明がガチャンガチャンと揺れている様子を擬音で再現するJulie。
セリフがなかったのでタバコを吸いながら
もうおさまるだろうと思いながらもどんどん揺れが大きくなった。
「何があったんや」というセリフのときに凄い揺れて。
酔いつぶれている演技する吾郎君がまだやるのって目で訴えたそう。
そんな僕のこと見たって止められないし、そんなにみつめるなよと思っていたJulie。
袖を見たって誰もでてこないし、早く誰かでてきてと。
揺れている中で、吾郎ちゃんやママさんの目で訴える様子を観察いたJulieだったのね。
あの時、揺れながら真正面のJulieだけみつめて、早くお芝居やめてって思ってた。
そのときには客席が暗いので、どんな状態か見えなかった。
やってる人間がこんな年なので、観に来ているお客さんもそんな年齢で。。。。
やっと舞台監督がでてきて、客席の電気がついたら、ザワザワして凄いことになっていた。
舞台は吊りモノがあるので、舞台から降りてお客さんと一緒に避難するように促された。
あのときの手の仕草は「絶対そんなのイヤ」って吹き出しがでたJulieだから
お客さんが先に出て行ってもらうようにの仕草だったのね。
それからタバコの火を消すのに全館禁煙なので灰皿さがしてあれやこれや、
楽屋口の外にある喫煙所でやっと火を消したそう。
建物はしっかりしていたようだけど、壁の剥がれたものがパラパラ落ちてきて
お客さんも動いていいものやら、僕は悪運が強いから冷静でいられた。
2日目だったので客席に○キノさんと演出助手の○タオカさんもいて、
あんまり揺れが長いので止めるように席を立ったら、その瞬間にお客さんがみんな動いたと。
会館は客電もついていたのに駅まで30分の道のりはみんな停電で真っ暗だった。
Julieたちは会館のある地域は停電にならなかったので、その近くで食事して
それから停電のホテルに移動したそう。
ホテルにはJulieたちのほかに横浜からきている男性だけだった。
ホテルの従業員とJulie達はロビーで過ごしたんだって。
町内会長のように、あれやこれや毛布配ったり働き者のJulieだったそう。
余震がくるとまっさきに自動ドアを手で開けて外にでて
寒かったけれど、空を見上げて 星がキレイやな〜(乙女のようなJulieにヘンシン)
あ!オリオン座(またもや乙女Julieになって)などとつぶやいて。
で、現実にもどって、中に入りましょうって。
Julieたちはこの動作を何回も繰り返したそう。
このときのことアキラ君がツィッターで報告してくれていたこと翌日佐野から帰宅した後に知った。
最初のうちは余震がくるとみんな外にでたけれど
部屋に帰って眠るひともいればお酒飲んで演劇の話をしているひともいて。
ずっとついてるラジオの音よりも大きな声で芝居の話をしていた。
こんなときにそんな話しするか〜ってふきだしがでたそうだけど。
Julieの真横で話をして、ときどきは子守唄のように聞こえたりうるさいというママさんが登場したり。
町内会長さん、あれやこれやで眠れなかったもよう。
「寝られヘンときには食うしかない」と思う町内会長さんでした。
お弁当がお米ばっかりだったけれど、ありがたかったって。
アキラくんがお弁当配ったりしていたそう。
「ほんとに悲しいとき、つらい時 人は笑うんやで」って
飲酒運転で捕まって事情聴取された時のことをたとえにだして
つらいときのことだった?
Julieったら、たとえが悪かった、悪すぎるって自分で言ってたけど。
一晩ねちねちと聴取されて寝かせてもらえなかった様子を再現する研ちゃんでした。
携帯で事務所に連絡したり。
7階の事務所、棚にあったJulieの資料が全部散乱したそうで、最初は全部かたづけたけれど
余震でまた散乱して、泊り込んでいるシャチョウがこのままにしておこうって。
あの日、佐野で一晩過ごして7時間かけて帰宅したら耐震構造の我が家も
物が散乱していて、余震が何度もきたので いまだにそのままにしている物も。
夏の節電のお話し。
クーラーの外気熱でそーめんゆでたらいいとか
ガスでご飯炊いたら焦げちゃったなんて失敗談も。
私は随分前にやって真っ黒に焦げて、失敗したからご飯は炊飯器が一番と。
ザ・タイガースのこと
可愛いだけではやり抜けないと気づいていった。
自分の中でいろいろ選択をして、あるときは洗濯もしながら(大阪バージョン?)
失敗もいっぱいして今に至っている。
昔は熱病のように凄かった。明治チョコレートの人気投票ではどこでも一番。
森永の人気投票はテンプターズが1位だったかも。
週刊明星、週刊平凡でもザ・タイガースは凄い人気だった。
ザ・タイガース、カツミが抜けてシローが入って6人。
6分の1だとしても凄い人気だった。
僕がひとりになったときには6分の1にもならなかった。
ソロになってから現在まで
Julieの努力の甲斐があって、ふたたび熱病気味。
でも問題を起こすことが多くて・・・・と その当時を振り返って
ずっと・・・・・とばして時代が変わっていき その中で模索して
あれやこれやしてマスよりミニの世界でやっていくことを決断し
テレビの世界から実演の世界へ。
一番捨てやすいのはプライドだそうで、プライドがなんぼのもんじゃと。。
でも誇りは持っている。プライドはやっかいなもの。
プライドと誇り、Julieの中では感じっこで違うらしい。
プライドを捨てきれないひとのこと言いたかったのかなぁ。
誇りからちょっととばしてゴマシオのこと
DNAによって少なくなることもなく でもちょっとづつ後退しているらしい。
応援のこと
野球選手の「応援よろしくお願いします」というコメントがお気に召さないようで
プロなら応援されんでもがんばれ!ということでした。
あとオレンジ色のタオル軍団のこと、ファンのタオルをこうしてと実演つきで
ああいうのもお気に召さない研ちゃんでした。
じゅりわんのときの大きく腕を振る仕草もイヤだったのかも。
秋からのLIVEに向けて、参加するひとの心構えのことかしら。
いつもと違うひと3人もでるから、いつもと違うことされるの心配してのこと?
じゅりわんはワンズとJulieだったからちょっぴりワンズ色にもなったけれど
秋からのLIVEは3人がゲストだけど、いつものJulie色でと切に願う私。
ツアータオルは首に巻くぐらいにとどめておいて。
JulieのLIVEは、うちわや小物など応援グッズなどいっさい不要なので
けしてタオルなど宙に投げないようにお願いします。
キレのある手拍子と黄色に近い声援だけあれば。
あと足腰鍛えて、秋からのLIVEに参加しましょう。
秋からのLIVEのこと
ほんとうは1月6日に発表する予定だった。
ひとり参加できない人がいて、全員の気持ちがひとつになったらいいなと思っていた。
ザ・タイガースはワイルドワンズとは違うからと。
ツアーは最初はザ・タイガースでやる予定だった。
大阪城ホールを予定していたのに
沢田研二の名前にしたらグランキューブに変更になり
名古屋もレインボーホールから芸術劇場に変更になったようで
これが現実としみじみ語るJulie。
世間の評価ってそんなもん?
Julieの口からそんなこと聴いてJulieの顔しみじみ見てたら涙がこぼれた。
ザ・タイガースがなんぼのもんじゃいって、ちょっと悔しかった。
東京ドームでやるときも、シリゴミしたイベンターがいたけれどあのときと同じ評価?
しみじみさせておいて「1月24日は武道館でやります」って嬉しいことを言ってくれたJulieでした。
流した涙、嬉し涙にかわってよかった。
桜島が噴火したときの火山灰のこと
富士山の噴火から鹿児島の夏へと繋がって、灰が眉毛に積もるそうでいまでこそって、
リボルバーの映画をとっていた頃は睫毛もこんなって(実演つきで○イビリ〜ン)。
あら研ちゃんったらマスカラつけていたの?
私の化粧ポーチにも黄色い○イビリーンがいつもいるんだけど。
研ちゃんの睫毛にもいっぱい積もる灰。灰が降ってワイパーを動かすとフロントガラスにキズがつくそうで ミャーとかシャーとかワイパーの音がへんでした。
灰は何で灰色なのか、灰だからなんていう研ちゃん
雨が降ると真っ黒になる、チャコールグレーみたいな黒〜
桜島がなかなかでてこなくて童謡など歌う研ちゃんでした。
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♪あんたがたどこさ 熊本さ 熊本どこさ 肥後さ〜 10年前もこの場所で童謡歌ってくれたっけ。
2010.9.12撮影
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昨年、鹿児島に生まれて初めて行ったとき
宝山ホールに向う車窓から眺めたときはブルーの空に白い雲がぽっかり穏やかな桜島だった。
活火山、多いときは年に100回以上も爆発しているそう。行く前に鹿児島に住んでいるひとに聞いたら山頂から降る火山灰で空は灰色に。
洗車したばかりの車も灰が積もって。そんな繰り返しとか。タイヘンだろうけれど、地球が生きているっていうことを日々、目の当たりに感じて暮らして。 |
宿泊先の隼人駅から宝山ホールのある鹿児島中央駅まで各駅停車に乗って錦江湾沿いを
走って車窓から空と海と火山の素晴らしい景色を眺めたことや
宝山ホールの運動会でJulieとふたりでしくじった♪六番目のユ・ウ・ウ・ツ♪のこと思いだしたり。
つい最近もあの雄大な景色思い出しながら鹿児島の焼酎「桜島」を飲んだばかりで。
私にとっても思い出深い桜島の灰のお話でした。
ツアーが始まるまでは体のメンテナンスをするそうで
腕立て伏せをすると爪が床にささって痛いので巻き爪を治す予定とか。
歳を重ねるといろいろでてくるのね。
巻き爪は手術で?矯正で?どっちにしても痛そう。
私も1本だけ巻き爪だけど切り方に注意しながら付き合っていかなくちゃ。
腕立て伏せするJulieが想像できないくらい、ほったらかしなのかしらと思っていたけれど。
密かに身体も鍛えている?ようで、秋に他の3人と横一列に並ぶ準備ちゃくちゃくと?かしら。
秋のツアーがますます楽しみ。
口元に泡つくって90分きっかり熱弁してパープルの衣装着たJulieは
とっとと私達の目の前のカーテンの中に消えていきました。
再び♪緑色のKiss Kiss Kiss♪聴きながら、お帰りの準備して。
研ちゃんの余韻に浸るため孔雀の間からホテル内のカフェへ場所を移動して。
今夜はみんな同じホテルなので部屋に帰る前にJulieの余韻で乾杯じゃなくて、
みんなスィーツ好きなので 私だけ新太郎さんのようにハイネケンでひとり乾杯しながら
スィーツな仲間とさっきのおさらいなどして。
来年は名古屋があって武道館ねって。
あら年齢も近くて池袋のドラムでも一緒だったなんて、今頃知って。
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さっきもデザート食べて、まだスィーツ食べる友たちでした。
私もさっき飲んだのにまた飲んで。
部屋に帰ってまた飲んで。
どんだけJulieの余韻に浸ったかしら。 |
さて、次回のトークショーはいかに。鳳翔の間に入れるかしら。
このページのつづきが書けるといいけれど。
5月26日 記
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