沢田研二トークショー2009
東京・横浜

~奇跡元年

◇平成21年5月1日(金)晴れ
帝国ホテル富士の間
ディナー18:30~19:30
トークショー19:45~21:15

富士の間入り口に飾ってあるお花もグリーン

今年のJulieカラーはグリーン、ウェルカムカクテルもグリーン
テーブルに飾られたお花もグリーン



季節の海の幸取り合わせ 華やか菜園仕立て 柚子風味のヴィネグレットソース

クリスタルコンソメの南仏風野菜入りスープ

メインは牛フィレ肉のポアレ
お魚はメニューに記載なく確認したらスズキでした

フロマージュブランのムースに赤い果実のジュレを添えて

食事も終わり、いよいよJulie待ち
テーブルナンバー4番と9番がなくて38テーブル
3列目で下手よりのテーブルなので緊張することもなくほろ酔い気分でスタンバイ
Julieの表情が確認できそうかしらなんて

どんな曲で登場かと思っていたら♪探偵(哀しきチェイサー)
サザンシアターの新太郎さんのまんま帽子にストライプのスーツにベスト
体型はお芝居で観たまんま、もう見慣れちゃったから?
お正月の奇跡元年のアイスクリーム色の可愛い衣裳がよかったのに。。。
あれからずいぶんふくらんじゃったのでサイズが合わなかったりして。。。

上手側、下手側、真中に移動して帽子をとってご挨拶するJulie
第一声は「探偵です」お芝居のセリフのような言い方で
あのセリフ今日で11回目、毎回違って聴こえて

26日音楽劇の千秋楽から5日ぶりのJulie
話ながらときどき斜めなど向いて客席の反応を伺ったり


最初は横浜の新型インフルエンザのお話しから
Julieもニュースで気にしていた様子

ニュース映像で映ってた病院は昨日通院したときに厳戒体勢だったのはそのせいだった
病院から帰ってきてニュースでそのことを後から知ってビックリ
その後、あの高校生は陰性だったとJulieが教えてくれて一安心

GWはいつからなのと
Julieはお芝居の翌日からレコーディングだったそうでGWを実感していないみたい

今日はメーデー
昔、「太陽を盗んだ男」の撮影をメーデーの代々木公園ですごい人混みの中で撮影したと

トークショーのタイトル「奇跡元年」は
生きてることが奇跡だと、自分でもこんな姿を想像もしなかった
60歳まで生きられると思っていなかった、もう少し生きられそう、と

<健康の話>
テレビで健康食品のCMをよく目にするそう
タローからも体にいいよといろんなものもらうとか
もらったときだけ飲むけど、そういうものは買おうと思わないって
健康食品もエステも続けないとダメ、ずっと続けるのはひとつだけ
Julieの場合は仕事を続けることだって

ずっと飲んでいたお酒もドームのために半年やめて
依存症じゃないことがわかったそう


やめたからといって細くなることもなく、またお酒を飲み始めて太ったこともなく・・・
と言いながらJulieは客席の反応を気にして

客席の反応に、やっぱりドームから太っちゃったと、みんな思ってるんだ
僕もファンに馬鹿にされる芸能人になってきたの?

昨年ドームが成功して、世間から圧倒的な評価を得た
尊敬していないのはファンだけ、世間はもっと認めてくれてるというJulie

<世間が認めてくれたドーム公演のこと>
今年のお正月に話したことを再び
ドームにあれだけの人が集まったのは誰のおかげ?
ファンのおかげじゃない、ファンは1万人もいない
武道館はいっぱいになってもドームはいっぱいにならない

業界のお客さんをよぶプロの人がドームはリスクが多過ぎて無理だと言った
絶対みかえしてやろうっと思った、ファンじゃない人がたくさん来てくれたと言うJulie

ドームで80曲歌えたのは曲の構成をうまくやった
♪追憶とか高いキーの曲は前半に歌った
あと昔に比べたらPAシステムが良くなってPAに支えられた、と

鉄人バンドの4人もすごかった
曲順だけ書いて譜面は全部暗記していた
Julieは曲順は覚えなくてメンバーの演奏するイントロで次は何の曲って思い出しながら歌っていたそう


緊張していて喉が乾いた
水は大事と言われていたのでこまめに補給した
ペットボトルの蓋を開け締めするのが面倒だからストローで飲んだらと言われたそうだけど
そんなのカッコ悪いと思ったそう

ある女優さんのこと
「探偵」の千秋楽も、ドームにも観に来ていた女優さん
サインボールを一番にとったといろんなとこで言っていたと
先日も〇キノさんと飲んでるときに、〇キノさんの携帯に電話してきて
Julieに替わってと
電話にでたら、「武道館素敵でした」と言われカチンときたJulie(ドームと武道館を間違えるなんてね)
フアン、フアンって言ってせまってくるのがお気に召さないJulieのよう

武道館なら何回かにわけてできる
フアンの人は何回も観れる
毎日来て、私フアンですみたいな顔されてもうれしくないそう

<喉の心配>
ドームのリハーサル、最終のときに80曲通してやった
セーブして歌ったけれど終ったときに、本番は大丈夫かなと喉が心配だった
一晩たって次の日の朝、うがいしたときに声がでなかったらどうしよう
ふだん朝うがいするときに声をだすとうるさいって言われるけど
その日だけは「あ~」と声をだして、うがいもしたし発声練習もしたそう

<ドームは音がずれることを痛感した>
京セラは2万人しか入らなくて上の方が空いていたので
音が吸収されなくて反響がすごかった、リレーかけていないのにリレーする
自分の声が反響してやかましいって思ったそう

東京ドームは3万人入ったので音を吸収してくれたのでPAも大きくできた
3万人のエネルギーが凄かった、1曲終るごとに凄い拍手に後押しされた、と


<フアンだけなら3万人にならなかった>
一般的に沢田研二を知ってる人、Julieをを知ってる人、沢田研二の歌を知ってる人達が来てくれた

ふだん来ない人達が来てくれてすっとした!
武道館でやったらすっとしなかった!武道館ではイヤだった!
業界のプロに無理だと言われたけれど無茶じゃなかった!と

フアンの人が支えてくれたわけじゃない
一般の人が支えてくれた、フアンだけなら今に至っていない
黙ってる人のほうがすごいと

<うつになる人はそのことを感知できない>
僕もうつになりやすい性質だったけれど
黙っていても思ってくれてる人がいることを信じて生きてきた
そういう人からエネルギーが届いてる

そうか、私は感知できなかったのね

WBCのイチローを見ていてつらかったんだろうと
胃潰瘍になったと知ってエネルギーを送ってやろうと思った

< ドーム公演で奇跡が起こった>
ピーに会ったとうれしそうに言うJulie
変わってなかった、相変わらずで元気だった
中井さんとサリーとタローとで会ってお酒を飲んだ
〇ツミとシローは来なかった
サリーはピーと肩を組んで写真撮っていたそう


中井さんが〇ツミに会いに行っら「あれ、口パクだろ」って言ったそうで
口パクで歌っていたら間違えるわけないとちょっとお怒りのJulie

来年はシローも60歳になるので
またみんなで集まって何かしようかという話もあるそう
でも人間的に大人になっていないとできないと
Julieが一人でしっぽを踏んでるよう


<正月コンサートも「奇跡元年」>
自分の中ではドームで終って、また一から始めるということ
ドームは大きな区切りになった
フアンの人も自信を持った、私の「ジュリーやで」と思ったでしょ、と

正月コンサートの初日は「じゅりぃ~~」って凄かった!
業界の人も凄いって言ってた!と

私もドームで80曲歌い終えた後のJulieを初日にまじかに感じて
いつものJulieと違って見えた分の「じゅりぃ~~」だったっけ

でも二日目は続かない、ビビットな反応がなかった
お客さんの前に立つものとしてはいつもビビットな反応がほしい、と

リピーターだって、毎回違う感動があるんだけれど
Julieが言うように東京のフアンは観慣れちゃって感動が薄いように感じて
遠い地域だと待ってたの!感が歓声に繋がるけれど


「探偵」のときも何回も来てる人がいて。。。。
「知ってる~」って空気が
そんな人達にも別の何かを感じさせないと思いながらやっている
10回も観たけれど、いろんな距離いろんな方向から観劇して
毎回、新しいことを発見しながら面白かったけれど

<同じもの続けるとしんどくなってくる>
帝国ホテルでのトークショー、昔は3日連続だった
2日目でしんどくて3日目は冷や汗、毎回観てる~って空気が流れてくる

ビビットな反応で昔を思い出したJulie
昔、ホンコンに行ったときはすごい反応があってイントロが流れただけでうわぁ~っと
オレって世界一なんて思わせてくれるビビットな反応があった

ビビットな反応がほしくて東京ドームをやったと言うJulie


<音楽劇「探偵」のこと>
難しそうにやっていなかったけど難しい役だった
〇キノさんのすごさを痛感した
「天国を見た男」のときにこの曲で本が書けると言われた
「生きてたらシアワセ」ツアーのときに歌ったけれど難しかった
本ができたときに〇キノさんから「探偵」もヒロインもめっちゃかっこいいとメールをもらった
今回は〇キノさんのハードルが高かった
バーテンの役で動きを止めないでセリフを言うようにと
できませんとかできますと言わずにやってみますと

<タバコのシーン>
ネオシーダという薬用タバコ
大きな声では言えないけど(小さな声になって)中学2年から吸ってるからと
その頃はかっこよく吸う方法ばかり考えていたと吸うマネをするJulie
無駄にならなかった、キャリアが違うと


<バーテンの役>
Julieはマイシェイカーを持ってるんだって
家では練習しなかったそうだけど
ギムレットを作るところを演じるので実際にいろんなBarへ見に行って
大阪の舞台の最中にミナミのBarへ行っら、すごい振り方で曲芸のようだったと
〇キノさんのいきつけの荻窪のBarで舞台のセットのお酒のビンをもらったそう
そこでもギムレットの作り方を学んだそうで、そのときのマネをするJulie
同じようにやったらセリフ言えないと思ったって


大阪でやって東京でやる頃になって、ようやく〇キノさんの望む感じになったと
〇キノさんは歌も全部覚えていて歌詞を間違って指摘されたこともあるんだって
今回はやることが多かった
でも、これができたら〇キノさんの言う「かっこいい」になるんだと思いながらやっていた
僕のために書いてくれた本は宝物になった
DVDも発売されるけどやはり会場に足を運んで観てもらいたいと


再演したいと思ってるそう
再演するときは神戸で、福岡、新潟、北海道とか


<お芝居の地方公演>
福岡では「桂 春団治」、新潟は「ペパームーン」、北海道は「謎の変奏曲」を観に行ったけれど
「謎の変奏曲」も再演してほしいなぁ

<最近思ったこと>
これをやるために今まで人生をやってきたと思えることが二つ
1.今までやってきたことはドームで80曲を歌うために今日まで生きてきたんだと思えた

2.「探偵~哀しきチェイサー」で〇キノさんの「かっこいい」と言うところに近づけたと思ったときに
この芝居をするために今まで生きてきたんだと思った

20年前にJulieと同じ舞台(海光)に立ったときに、このために生きてきたんだわと思ったけれど


<ドーム公演をやって>
この歳になって歌っていることを再確認してもらって嬉しかった

<裕也さんとのジョイント>
自分の考えている形(歌わないときもステージにいる)で、できてよかった

<6曲入りのアルバムを出す>
6月からのツアーでは新曲6曲と19曲歌う予定

<「桂 春団治」公演>
11月京都の南座、12月名古屋の御園座

来年の1月も正月コンサートをやってくれるそうでよかった
まだ言いたそうな思わせぶりなjulie、来年はお楽しみがあるってことかしら?

<♪我が窮状のこと>
みんなが騒いでないときにだしたのがよかった
60歳になってラブソングだけじゃなくて言いたいことを歌っていこうと思ったら
ひっかかってくれた人達がいた、これも奇跡だと

<ニュースな話題>
僕がお酒に酔っぱらって公園でハダカになっても怒ったらダメ
僕なんてハダカになったら風邪ひく、脱いでる最中にやめとこと思う
話題にするのもかわいそう、若いから。。。
起訴猶予のお話しから接触事故の話へ

<吉田拓郎さんのこと>
「ROCK’N ROLL MARCH」のアルバムのときに曲を依頼した
作詞・作曲で頼んだら曲だけなら作れるって言われ断ったけれど
拓郎さんの思ってることが知りたかったそう
自分のアルバムで詩を書いていたので嬉しかった、一方的に好きなんだって

小田和正さんも気になってるみたい

ひとから、沢田研二は沢田研二って言われるのが嬉しいんだって
太ったの痩せたの云々されないですむ人間だと自分では思っている
痩せたほうがいいなんて言う人は残酷な人、60過ぎて痩せていたら病気だ、と

<Wプロから独立して>
なんとかやってこれたのは・・・スタッフのおかげ
フアンは支えようがない
「私達って力になれないのね」と、そう思ったときのあなた達はどんなに可愛かったでしょう
それなのに太ったの痩せたのだの言ってるフアンの人達はなんと醜いことでしょう
太ってるんじゃない、脂がつくんだと太ってる自分を肯定したいJulieでした

10年前より痩せている人は病気だって
私、病気?そうね、病をひきずってるから。。。

<痩せた太ったことを云々することはやめて>
12月3日仏滅の日からそうなったんだって
Julieはドームから生まれ変わって太ったJulieでいくことを決めた?そう
太ってもかっこいいJulieを期待しよう
                   
最後はマイクをスーツの内ポケットにしまって
そのマイクに向って歌うマネをして、笑顔で舞台をあとにしたJulie

Julieのおしゃべり聴いたあとの♪探偵~哀しきチェイサー
お芝居ではフルコーラス聴けなかったのでじっくり聴き入って


5月 記



◇平成21年7月21日(火)雨 
横浜ロイヤルパークホテル 鳳翔

ディナー18:30~19:30
トークショー19:50~21:20



ロビーのお花、5月の帝国ホテルはグリーンがテーマだったけれど
今回のテーマは何だったのかしら



横浜はあいにくの雨
横浜ロイヤルパークホテルでのトークショーは今年で3回目
会場に入ったらいつもよりぎっしりテーブルが並んでいる
澤會から同封された座席表では一番後ろで端っこから2番目だったけれど
もうひとテーブル追加されていたり、両端の前の方まで追加されて
5月の帝国ホテルと同じくに今年は異常な人気?トークショーにも初参加が増えたよう

マグロのタルタル純白のハート仕立てバルサミコミントソース 南欧の香りとともに

サフラン風味の海の幸スープ仕立て オリーブのスティックを添えて

お口直しのシャーベット

お魚を希望したらMENUもお魚に変更してありました♪
真鯛のハーブポワレと湘南野菜のラタトゥユにワインバターソース


マンゴーのシブストクリーム シトラスの香り 赤桃のソルベを添えて

一人のときは隣の方とお話したりJ友の輪も広がったりするけれど
ここ2年は地元の友のと一緒でおしゃべりしながらのディナーはあっという間
Julieがおでましになるまえに化粧直しもだから毎回デザートはゆっくり味わえなくて
後ろの席なので、化粧直しも必要ない?女子としての身だしなみ?
初めて参加の人が多かったようで、みんな席に戻るのが遅かったので
Julieはカーテンの向こうで会場の様子もチェックして今回は5分遅れておでましに

季節も夏にかわって、どんな曲でどんな衣裳かしらなどとちょっと期待しながら
聴こえてきたのは5月と同じ♪探偵~哀しきチェイサー
帽子をかぶった探偵さんの格好のJulie登場

横浜だから♪緑色のKiss Kiss Kissが聴けたらよかったのに
微かな期待はみごとに裏切られ。。。
上手に下手側に帽子をとってご挨拶、そして真ん中へ
一番後ろでも4列目なのでJulieの表情は感じ取れた?
遠い席が多いので見ようとする力が働いてそんな気がしただけ?
京都から3日目のJulie、京都は遠くて。。。だから
その前日のたつので至近距離でみつめたあの表情を思い出しながら

体型は?もうそんなことはどうでも
太った痩せたなんてことを超越したところにいるんだものねJulieは

Julieの第一声は
たくさん集まっていただいて、420名と報告ありました

♪探偵~哀しきチェイサー
30代のときにレコーディングした曲で、あれから30年近く経って長くやっているなぁと

<初めて参加のひとに?>
世間ではTVにででいることが芸能人の証と思われているけれど
たまには歌ってねと言われたりするけれど「はい」と言い訳もしないそう

昨年、60歳になって、あっという間に今年は61歳
歌は好きだったけれど、芸能界に憧れていたわけでもなく、周辺にそういうひとがいた
少年のころは、芸能界に行く方法も知らなかったし、自分ではそういう人間ではないと思っていた

<歌の世界に入るきっかけ>
芸能界に無関係の家庭でもなく父親が衣笠貞之助の書生をやっていた
(カンヌ映画祭でグランプリをとった「地獄門」(1953年公開)の監督)
家に映画のフィルムがあったり、長谷川一夫スナップ写真があったり
父親が映画に連れて行ってくれたりしたので子供心に映画スターを知っていた
憧れはしたけれど自分がその世界に入ろうとか思ったことがなかった

高校の空手部の友達が軽音楽が好きで軽音楽部を見に行ったら
こんどはプロを見に行こうと河原町三条のベラミというジャズ喫茶に行って
尾藤イサオさんがでていて凄いなぁと思った

中学の同級生のお姉さんの彼氏がバンドをやっていて見に行った
高校の授業が難しくついて行けなくてさぼるようになった
空手部から赤点があるうちはクラブ活動はダメと言われ学校に行く気がなくなり
友達のお姉さんの彼氏がやっているバンドに誘われ
バンドボーイをやりながらステージの端っこで踊っていた(モンキーダンスを踊ってみせるJulie)

<そこへ背が高いふたりがやってきた>
話があるんだけどと声をかけられ凱旋門という喫茶店に来るように言われた
ケンカも強そうじゃないし呼び出されるようなことしてないしと思いながら行ったら
一緒にバンドをやらないかと誘われた、そのふたりが森本太郎さんと岸部一徳さん
のちにファニーズになりタイガースになる
ヒットバレードに出演するときにプロデューサー(すぎやまこういち氏)にグループ名を変更させられた

<フアニーズで大阪でやっているころ>
ルックスでは、スパイダースやどのグループにも負けていないとメンバーたちが言っていた
自分は年下で何も言えなかった
森本太郎さんのある日の日記には、一日中一緒にいて「はい」しか言わなかった、と
そのころは陰気で引込思案で、まさかトークショーをやるとは思ってもみなかったそう

<日本一になる>
メンバー4人は、そう言っていたけれど、なれるわけがないと「はい」としか言わなかった
なれたら、それがずっと続くと思っていた
トッポがやめシローが入ったら戦力が落ちた
シローがギターが弾けないのでリードタンバリンを譲った
芸能界が嫌になったとピーがやめたいと
これ以上、親戚や友達を入れてまではやめようと、サリー

サリーはやめる前に岸部修三グループ(ロック系)をやろうとしていた
シローはブレッド&バターと一緒にやろうと決めていた
タローは森本太郎とアルファベッツ
ピーは芸能界をやめた
やめたあとは何も決まっていないJulie

<昭和46年1月24日前後のJulie>
Wプロの事務所に行ってお茶くみしつつ、誰かに声をかけてもらいたいと
マネージャーから声をかけられ
サリーがやろうとしていたグループがダメになり、とてつもないグループをつくることになった
スパイダースから井上堯之さん、大野克夫さん
テンプターズから萩原健一さん、大口ヒロシさん
タイガースからサリーとお前が入ったらスーパーグループになると、ひとつ返事で入れてとJulie

<掛け算になるかと思ったら割り算>
見に来ているフアンからも受け入れられない感じがした
地方に行くとお客さんが入らない現実
歌が下手と言われていた僕をソロにしようという空気が生まれてきた
井上堯之さんからは、お前はひとりでやった方がいいと説得され見捨てるつもりですかとJulie
仕方なく指揮者のいるオーケストラの前でひとりで歌っていた

<ヤマハ音楽祭>
♪君をのせて(作詞:岩谷時子さん)を作曲した宮川泰さんに勧められ一緒に出演した
舞台裏ではJulieが優勝と囁かれ、その気になったり、とれなかったらどうしようなんて
井上さんたちはいないし、凄いオーケストラの前で緊張で上手く歌えなかった
結果はかすりもせず芸能界のこわさを知った

<海外でレコーディング>
どうせ売れないと思って歌っていた♪許されない愛がちょこっと売れた
売れたので自分の要望をマネージャーに言った
歌うのは井上さんたちと一緒じゃないと嫌だと
TV出演も一緒じゃないと、と自分の意思を少しずつ出すようになった

80年代までは、世間に活躍を知られていた
90年代は姿を消したと思われるようになった

<今のTV>
無理をしないとでていけない
歌の場合はTV曲が望むものを歌わされる
ヒット曲を要望される
若い時と違って紅白は出たいひとが出ればいいという考え

<60歳過ぎたら>
もう少し小さな会場(きょうのような400人ぐらいの)で
喧しくない音で歌がよく聴こえるような状態でやろうと思った
ギターひとりでいいと思っていた、それは老後にとっている

<60歳になるときに>
このまま静かに終わっていくのかと思っていたけれど
僕のこと興味ないひと以外で
歌も歌ってくださいという、沢田研二といえば「ああ」と思うひとたちに
沢田研二も消えていったと思われるのが悔しいと思い始めた
それで何かをしようと思った
昔のように大きな事務所にいるわけではない
社員が4人の個人事務所
この小さな事務所でできることは何かと考えた
映画や舞台はいろんなひとたちが出てもらわないとできないし
この先、間口を狭くして最後はフェイドアウトしていくのが理想だと思いながら
最後は大きいことをやろうと考えた

<僕にはコンサートしかなかった>
それで東京と大阪のドームでやろうと決めた
沢田研二の一世一代の仕事
お客さんが入らなかったらやめる覚悟でココロだけでできるのかと
それができないなら
いつもと同じように相変わらずがいいことでと還暦コンサートをやるつもりだった
何人動員するのか
東京ドームは3万人、大阪は2万人
京セラドームのほうが大きいけれど、大阪は動員力が小さいと関西出身なのにと思うJulie
京都出身だけれど関東に住んでる方が長いから仕方ないと

そのとき、イベンターにリスクが多すぎると断わられた
民〇から独立してソー〇ーになったイベンター
長い間、大阪のコンサートのときにお世話になっているイベンターだったので焦った

そのときに週刊誌にも書かれた
ジュリーがやったとしても同窓会コンサートのようなひとしか集まらない
やる意味がないと音楽評論家にも書かれた

音楽というものは世代のものだから
同じような世代しか集まらない

個人事務所になってから
現実を知って、無駄なものを省いてやってきた
トークショーも費用はかかっていない
東京で始めてから10数年続いて、もういいですと言われたらすぐにやめる

<昨年の還暦コンサート>
ヒット曲も歌うだろうと、いつもよんでもらえないイベンターからもよんでもらえた
ツアー中のMCで嘆いていたりしてドームコンサートはディスクガレージが受けてくれた
自分が置かれている立場を冷静にみつめた
CDを作っても5000~10000枚の間ぐらいしか売れない

いくらフアンのひとが親戚や友達を誘ったとしても12000人
開演時間は15時から5時間以上も
80曲歌う

ツアーが始まったときは80曲歌うと決めていなかった
ツアーのMCで、しゃべりながらお客さんの反応を感じ取り
フアン以外のひとの反応も感じ取りながら
フアンのひとはちょこっとしかいない
僕の名前を知ってるひとはもっといるはずと
ここで観ておかないと観損なうかもしれないと遠くからも来てくれるだろうと予想した

88歳まで生きたいと言っていたし
米が好きと言っていたし
末広がりでめでたい数字の88曲を歌おうとしたら
終演時間が長く追加料金が発生すると言われ
歌うJulie自らソロバン弾き曲を減らすことになった
スタッフに曲の時間と間の時間を含めてライヴの時間を計算してもらい
限界の曲数が80曲、休憩の時間が20分

東京ドームはエレベータで移動しても控え室まで往復10分かかる
自分の休憩時間は10分で軽いものをよく噛んで口にできた

*最初の京セラドームはトイレまでの距離が近く、行列も短くすんで
席に戻って軽いものを食べても余裕があったけれど
東京ドームはトイレまでの距離が遠く移動に時間もかかり
数が少ないのに一斉に移動だから行列も長く
ボール投げはあきらめでトイレに移動したから軽いものも口にできて
後半のステージにも間に合ったけれど、多くのひとが間に合わなかった
Julieの歌を聴きながらお弁当を広げてるひともいて野球観戦の雰囲気もあったり

<ゲストを呼ばなかった>
呼ぶんだったらタイガースしかないけれど
僕の中でタイガースは最後の切り札

<80曲歌う不安はあった>
全部練習すると5時間はかかるので、つぎの日は稽古にならない
少しずつ歌って練習を重ねて最後の1日に初めて80曲を歌った
本気をださずに80曲やってみたら、その日の夜に声がガラガラになった
声が嗄れても雑味ができていい感じと自分に納得させた

<最初の京セラドム>
申し訳ないけれどセーブしながら歌った
*自分のことも含めて心配しながらJulieと初めて体験した80曲は
つぎの東京ドームよりも思い出に深く心に残って

ゲストで出演したワイルド・ワンズの武道館
ゲストが出ようと、みんなお祝いの意味でかけつけたと思っている
裕也さんとのジョイントのときは、
加瀬さんに演出と構成とアンコールでは出演してもらうようにお願いした

<数年同じメンバーでやっている>
僕が歌うのだから音楽的に我儘を通している
昔の曲も同じように演奏してもらって長くつづけている良さがでてくると思っている
ドームのときだけゲストをよんで井上堯之さんにギター弾いてもらったら
上手い下手の問題ではなくギターのふたりが気分よくないと思う

ゲストのひとたちは客席にいるべきだと思う
仕事で来れないひともいたけれど
お世話になったミュージシャンのひとにはみんな声をかけた

ここ一番のステージで外される辛さを感じせたらいけないと思い
4人の音だけで歌おうと始まる前に決めていた
あるとしたらサリー
ベースをプレゼントしたら、あるとき練習をしていて
ゲストに呼ばれなかったらショックだろうなとサリーの俳優仲間から噂が聴こえて
僕がベースをプレゼントした意図は、もっと最後にある

ゲストも呼ばずにいつものことをいつもの通りにやって観てもらおうと思った
結果的に奇跡的なことになった

いつもと違うことは1000人のコーラスを入れた
NHKのSONGSで♪我が窮状を歌うときにコーラスを100人お願いした
101スタジオで収録したときに少なく感じドームのときは1000人にしようと決めた
学生を頼もうとしたら平日は授業があるので一般のひとに声かけてやっと1000人になった

*沢田研二のフアン自慢してるひとがドームのコーラスに参加したと
どこかで自慢げに語っていたけれどJulieからしたら一般のひとだったのね
フアンと自負するなら客席で譜面を見ながらコーラスに参加するより
フアンとして80曲を共有したほうが価値があるのかしらと個人の勝手な感想

<ドーム後>
客席の雰囲気が変ってきたり
新幹線の駅や空港で写メを撮られることが多くなってきた
それをJulieは人気がでてきたと
トークショーも昨年とは集まる人数が違う
コンサートでも集客が弱かった地域も増えてきたそう

<世間は異常なことが好き>
人気がでた理由はわからないけど、ドームをやったことで異常と思われたのか
僕が売れたころも、化粧したりイヤリングつけたりした

<2000年になって>
TV出演も少なくなって紅白は観るものと決めたり
小さい事務所で意地になってやったら世の中のひとたちがちょっとこっちを見てる状態
コンサートを観に来てるひとの中のことだけで大したことではない

<人気というもの>
良くも悪くも当人を錯覚させる
世の中のひとは太ってるひとが好きなんだと思った
客席が大爆笑したら、なんか安心感があるの?と嬉しそうなJulie

Julieフアンの女優さんのこと
Julieが好きだということを前面に出されるのは苦手みたいね
フアンも同じくに控え目な行動がよさそうね

80曲がみんなの心にひっかかったのかなぁと自己分析

<裕也さんとのジョイントのとき>
裕也さんがいなかったら今の僕はいないと思っているけれど
裕也さんから先に言われてしまった
遠い親戚が来ていると希林さんが客席から登場
そのときに手を差し伸べているオトナの自分がいた
Julieと希林さんが向き合ったら客席がシーンと静まり返った
それを待って希林さんがじゅりぃーーーーー
客席が沸いて
前日に、この場面はないですよねと確認するのを忘れたJulieだった
裕也さんとJulieのジョイントなのに翌日の新聞は全てじゅりぃーーーーが見出しになった
ゲストを呼ぶとそういうことになるのが嫌なJulie

松田優作さんがなくなったとき、裕也さんは1年間喪に服して黒を着用していたそう

<東京ドームに来なかったふたり>
堯之さんと裕也さん

<ジュリー祭りを終えてみたら>
このために昭和42年から歌いつづけてきたのだと思えたそう

<探偵~哀しきチェイサー>
レコーディングしたあとに歌っていない
詞の内容もメロディーもあまり好きではなかった
カッコつけてる探偵が好きになれなかった
久世さんが曲を気に入って七人の刑事を作って
裕也さんが出演したときに、いい曲だと言っていた
4年前に飲み会の席でマキノさんから、この曲で芝居が作れると言われた
それなら書いてもらおうかと思った
2~3年前にツアーで歌ったときに難しかった
そして音楽劇になった
そのときに、この芝居で歌うために今までいろんな芝居を続けてきたのだと思えた

<芝居のスタート>
・蜷川幸雄さん演出、唐十郎さん作の「滝の白糸」
蜷川さんに大きな声を出すように言われた

・10年間、グローブ座で一人芝居の音楽劇をやった
そのときに加藤直さんにも、声を前に出すように言われた
芝居のいろはも知らないのに、ある日、聴こえるように言ったらいいのではと
世の中は厳しかった

・渋谷のコクーンで自由劇場のひとたちと三文オペラをやったときに
串田和美さんに自然な感じでと言われた

・花道のある劇場で「桂春団治」や「夫婦善哉」に出演した
大阪などはお客さんの声が聴こえる
共演者にお客さんが役に入り込んでくれて幸せだと言われた

・マキノさんは主役脇役関係なく演技指導が細かい
ダメなときはダメと言ってくれる
僕の歌のフアンのひとに巡り合えた

・久世さんが「センセイの鞄」を最後に辞めると言った
打ち上げで再演をするように言われ、結果的に遺言になった
自分が5人ぐらい選んだ中のひとり
音楽劇のときはレコードとはキーを下げて歌った
神戸を舞台にしているので神戸でやるため再演も決まっているそう

最近はマイクが重くなった
あれこれポーズしながら、これができなくなったらどうする?なんて心配もさせたりして
年金をもらうまであと4年はトークショーが続けられるようにと言いつつ
ほおっておかれない性質だからと、おしゃべりを締めて
下手カーテンにきえるJulieにじゅりぃーーーー

内容は新しくフアンになったひとたち向けのお話しで
Julieの歴史を復習しているような気分だったけれど同じ空間で過ごすことに意味があるので

7月23日 記