<2011年>
横浜さんぽ ゴールデンカップ


1964年横浜本牧に開業


平尾時宗とグループアンドアイ
1966年〜
ゴールデンカップの専属バンドとして出演の頃



ずっと昔から行ってみたいなぁって思っていたけれど近いのにちょっと遠かった場所
お店を知ってから40数年の長い歳月を経てようやく、あの扉を開けることができた。

いろんな老舗のお店、歴史が長ければ、そこのフロアをうめるお客さんもにも
その歳月のぶんだけ、いろんな思い出がある。

時代を一緒に過ごして、いろんな歴史を知っているゴールデンカップ
このお店がゴーゴークラブだった頃はフェンスの向こうに星条旗。

ちっちゃい時にフェンスの向こうに星条旗があるところにいて
それから海の近くに移り住んで遊びにいくところは、やっぱり横須賀で
小学校上がる前からスカジャン着てたり
学校の帰りの電車でもセイラーカラーの水平さんに話しかけられたり
私にとっては本牧もそんな懐かしいニオイのする場所。

このお店の扉を開ける前に、このお店にまつわる私の思い出から。

毎朝、学校に行く前に見ていたTBSのヤング720という番組
(1966.10.31〜1971.4.3放送)
毎日、新鮮な話題を提供してくれて、占いのコーナーを見て学校に行く日常だった。
残念ながら私の好きなザ・タイガースも出ていた?紹介されていた?
映像は思い浮かばないのに
大石悟郎さんと小山ルミさんだけはなぜだかしっかり思い浮かぶ。

番組が始まった年に
グループアンドアイ(ゴールデンカップスに改名される前のバンド名)が出演して
本牧にあるゴーゴークラブ「ゴールデンカップ」で演奏しているバンドとして紹介された。

毎朝欠かさず見ていたのに、記憶から遠のいていたのは、そのすぐ後に
激動の楽しい日々がやってきたからかもしれない。

ステージに立っているひとにも本牧に凄いバンドがいることが知れ渡る。
それから数年経って
ザ・タイガース在籍中の沢田研二も
フジテレビの番組終了後タクシー飛ばして本牧までかけつけて
ゴールデンカップで演奏しているゴールデンカップスを見て衝撃を受けたそう。
(その時にタクシーに同乗していたのは誰だったか思い出したら追記することにして)
このエピソードは数年後、数十年後にもどこかで
沢田研二本人の言葉で語られたのを聴いている。

本牧にあるゴーゴークラブ、ゴールデンカップを知ってから
2年後にはゴールデンカップスも出演していた新宿のACBというジャズ喫茶で
ナマのザ・タイガースが演奏するのを観て衝撃を受けていた。

同年1968年
日劇ウエスタンカーニバルで初めてナマのゴールデンカップスを観る。
その後、ザ・タイガース鑑賞で日劇に何度か足を運んでいるので
その回数分だけゴールデンカップスの、あの音楽を肌で感じていた。

その後、住んでいるところから近い本牧のゴーゴークラブへは行くチャンスもなく
勤め先から近い六本木にあるゴーゴークラブ、メビウスへ足を運んでいた。
職場の飲み会の2次会がゴーゴークラブっていうのも当時の世相?

で、本牧のお店のことに戻って
お店のことを知ってから40年以上の歳月が過ぎたのにどうして今頃?

数年前にデイヴ平尾さんが亡くなって、お別れの会、追悼LIVEで
本牧のタイクーンへ行ったときゴールデンカップスの演奏を数十年ぶり
(1989年、横浜アリーナでタイガース・メモリアルクラブバンドのLIVE以来)に聴いて
ずっとココロに残っていた
ゴールデンカップへ行きたいということを思い出したりしたけれど
扉を開けるチャンスはめぐってこなかった。

昨年、沢田研二の松江LIVEが終わって
宍道湖付近の老舗のBar山小舎の扉を開けて
3代目の若いマスターと会話しながら飲んで、とっても贅沢なひとときを味わった。
そのマスターが横浜で飲むなら野毛あたりでしょうって
地元にいながら地元を知らないのも、もったいないかななんて
お酒の楽しいひとときも味わえる年齢になったので
地元界隈のBarめぐりしようかなってことがきっかけ。


そのお店の歴史の中に
自分の思い出の歴史もみつけらる場所ってことで
横浜で一番最初に選んだのが本牧のゴールデンカップ。

本牧に最初に行ったのはマイカル本牧ができた頃
一緒に行ったのは20年くらい前に
マイカル本牧の中にあるお店で働いたことがある友と。
友が働いていた頃はまだ野原だった景色も飲んだり食べたりできる場所になったり
そこでちょっとお腹満たして喉を潤して
お店の看板に灯りがともって少したってから、いざ念願のゴールデンカップの扉を。

今は便利な世の中、お店の情報はネットで
でもそのお店の雰囲気を味わうにはマスターとの会話ができてこそ
初めてドアを開けてマスターと会話するのってちょっと難しい。


扉を開ける前にお店の入り口前の看板に店主からのお知らせが目にとまった。

明日2月16日じゃなくてよかった。
角川映画製作のため、明日はお休みとのおしらせ
3月19日にはテレビ東京のアド街ック天国にも登場するとのこと
今夜、扉が開いていてよかった。

ちょっと緊張して、扉を開けた。

その瞬間、あれ意外な雰囲気。ライブ演奏は遅い時間だろうから
ちょっと静かなレストランBarのような雰囲気かしらなどと
勝手に想像していたので以外だった。

楽器の置いてある側でカラオケで歌っている人がいたりして
そんな風景、30年ぶり。
カラオケボックスのまだない時代に私もこんな感じで
近所の飲む場所で歌っていたこと思いだしたり。
近所のお馴染みさんは
こんな感じでお酒を飲みながら、美味しいもの食べながら
好きな曲を歌って楽しいひとときを過ごしているよう。


本牧神社の小さな熊手が目にとまった。


カウンターの目の前には洋酒から日本酒等いろんなお酒が並んで。

カウンターの中では女性が忙しそうにきりもりしていた。
席に案内されないとき、どこに座るのかもちょっと悩んだりして。
コの字になってるカウンターとステージの左と横にボックスの席。
お店の雰囲気感じるには、カウンター席がいいかなと、
コの時になってるカウンターの角に座ることにした。

さて、何を飲もうかな。
事前にネットでお店情報調べて。
朝4時まで営業しているので夜遅くはチャージがついての料金設定
その時間になる前までは
リーズナブルな料金設定ということだったので安心してメニューを見る。


リーズナブルコースのオツマミは
中華が多かったのでエビチリとくらげのサラダ
エビチリが美味しかった。
奥の厨房で料理を作ってくれていたのは中華料理のコックさんだと判明。

早い時間で奥のボックス席にはお客さんもいなかったので
店内をちょっと見学させてもらうことに

ブログに載せるということで写真も撮らせてもらって。
カウンターの前にLIVEスペース


LIVEで使用するドラムセットとキーボード、それに譜面台等
セッティングされていないドラムセットを見るのは40数年振り?

客席と繋がってるステージも初めての経験
こんなステージと客席の距離が近いところで好きな音楽が聴けたら最高。


店内にゴーゴークラブの頃の写真が展示されて、当時の雰囲気が感じられる。
フェンスの向こうの外人さんに混ざって日本の若い女子などの写真
ザ・タイガースのピーフアンを1年ちょっとで卒業し
踊るところへ通っていた姉もこんな感じだったのかしらなんて。


お客さんと同じフロアーで歌って演奏


私が通った新宿ACBや池袋ドラム等は座席があって
座ってあの迫力ある演奏を聴いていたので
狭い空間でまじかに演奏するひとの熱気を感じていたけれど
ちょっと違う雰囲気だったかな。


アンプにこしかけて演奏している当時の写真。


懐かしいジュークボックスもそのまま
手書きのカタカナの曲名、懐かしい洋楽曲がいっぱい


ゴールデンカップスの曲も

店内の若かりし頃のゴルデンカップスの写真を眺めて
気分はいっきにあの頃へ。
ゴールデンカップスを日劇ウエスタンカーニバルで初めて観た1968年の8月。








カラオケで歌っていた地元の常連さんも帰ったところで
カウンター内で忙しくしていたお店の方も一段落したようなので
お店にまつわる昔話聴きたいなって。

ようやく早い時間のマスター奥から登場、エビチリを作っていたのはマスターでした。
以前に中華料理屋さんをやっていたそうで、その頃のエピソードも聴かせていただいて。
早い時間のマスター、やっぱりGS世代で
店内に流れるBGMはマスターの好みで選曲しているそう。
で、マスターと意外な共通点が。

遅い時間のマスターが出勤してカウンターの中へ入ったので
ちょっと昔のことなどオシャベリ。

40数年も前に沢田研二もこのお店に来たと、本人が語っていたので
そのエピソード、マスターが覚えているのかた訊ねてみたところ
マスターがココに来る前のことだそう。
でも先代のマスターから語り継がれているのかエピソードは知っていた。

このお店に来る前は
横須賀の星条旗の見える近辺の大きなクラブで
フルバンドでヴォーカリストとして歌っていたそう。
遅い時間のマスターと話しが盛り上がっているときに流れてきたのは
♪僕のマリーと♪モナリザの微笑み


十代の頃の懐かしい思い出のひとつひとつがふたりのマスターとの会話で線に繋がって。
扉を開けたらカラオケで
最後には偶然にもカラオケにまつわる懐かしい貴重なお話しも聴けて
ゴールデンカップの扉を閉めた。


本格純米焼酎 ゴールデンカップ
次回またゴールデンカップの扉を開けたときには味わってみたい。

前日には横浜に4センチも雪が積もった寒い日
空気は冷たかったけれど40数年の遠い時間がマスターと思い出話をして
あの頃の懐かしい思い出の距離が近くなったように感じられ
昭和40年代から昭和の終わり平成の始まりなころへ
タイムスリップな、とっても貴重なひとときでした。

ほっこりした気分で地元駅に着いたら
夜空には満月まじかのお月様とキラっと光るお星がキレイでした。

2011.2.21 記