沢田研二トークショー2011 東京&大阪
~ザ・タイガース君だけに愛をとはとわに、ああ花の首飾りとは

◇平成23年5月8日(日)晴れ26℃ 帝国ホテル 富士の間
ディナー18:30~19:30
トークショー19:45~21:20ごろ

富士の間入り口のお花もグリーンと白


テーブルのお花も白とグリーン

モスコミュール
魚介類盛り合わせ菜園サラダ仕立て マスタード風味のビネグレットソースで 

コーンとトマトのチャウダー

旬の鶏魚のポワレ
バジルとケッパー入りソース ポテトと季節野菜添え 


森の果実のなめらかムース
苺のジュレに赤オレンジのシャーベットとともに

ソルティードックを飲んでるひともいて

2011年、最初のトークショー
お題が発表されて、富士の間に入るために電話の争奪戦、いつも以上にタイヘンで
発売日には開始から50分ぐらいで売り切れ、キャンセル待ちが100件ぐらいあったそう
友人のおかげで、なんとか富士の間に入場できて席ははじっこで斜め方向からJulieを拝見

♪緑色のKiss Kiss Kiss
横浜の空から・・・と流れる中、Julie登場

下手、上手、真ん中へお辞儀
衣裳はお正月に着用した薄紫色のグラデーションのジャケットに、濃い紫色のズボン
中には紫色のシャツ(見えなかったけれど)

髪は探偵さんの栗色でオールバックじゃなくて残念
やっぱり自然な銀色のほうがお似合いかしら
次回のコンサートの時には染めないでそのままでお願いしたい

サザンシアターで上演された「探偵~哀しきチェイサー」
4月28日夜の部から配布された
黄色のリストバンドをさりげなく時計と一緒に左腕につけて

私も配布された当日と5月1日そして5月2日千秋楽、そして今日も腕につけて
まだ配布されないうちに観劇したひとは、まだ手元になく
もうじき澤會さんからインフォメーションと一緒に届くよう

雪が降り積もる名古屋ライヴでパープルのヒラヒラが気になって
Julieの表情より、あのひらひらをじ~~っとみつめていたけれど
リストバンドしたその手で、あの綺麗な指先でひらひらを触ったりして
62歳のJulieがジャケットの胸から切り取ったような花びらや葉っぱのカタチをした
ひらひらに触るなんてちょっとドキドキ
やっぱりJulieの手は妖しい指先、指先だけは昔のまんま青年のよう?

<あの日(3.11)から初めての言葉>
たいへんなことが起こって、こんなことをしてていいのかと思ってしまう
ノーテンキにこんな話をして申し訳ないけど自分はできることを普段どおりにやる
CMでひとつになろうと言われても気持ちはわかるけど、そうはなれないって思う

*最初のお話はあの日私も同じ場所で経験した
3月11日午後2時46分、佐野市文化会館での出来事からでした

「探偵~哀しきチェイサー」の舞台で佐野で昼公演をしているときのこと
ノーテンキな踊りを始める前のセリフを言っているとき
カウンターにいて肘をついているときに揺れてるなあと思った
そのときに暗くてお客さんのほうは見えなかった
照明が揺れて当たって音がしていて凄いリズム刻んで

*照明がぶつかる音、いろんなリズムで表現するJulie

あのときJulieは照明機材が見えないカウンターの奥にいて音だけが聴こえて
私は客席から舞台の上の方にたくさん並んでいる照明機材がガチャンンガッチャンと
凄い音をたてて揺れて落ちてくるんじゃないかと怖かった

「一体、何があったんや」というセリフの時
凄い揺れていて誰が止めるんやろ?わしが止めるの?って頭によぎりながらも
早く舞台監督がでてこないかなって思っていたJulieでした

すぐ揺れがおさまるだろうと思った
揺れが終わったら何事もなかったように続けようと思った
どうしようもないときもある

長い間、今までもいろいろあったJulie
コンサート会場で停電になって懐中電灯で自分の顔照らしてオバケとかやってみたり
拡声器を持って停電ですって言ったり、いろんなことがあったそう

いつかJulieのコンサートで、開演5分ぐらい前に大きくグラっと揺れて

客席がちょっと騒然となったけれど、すぐに揺れがおさまって
何事もなかったようにコンサートは普通に始まった
後から、新潟で新幹線が脱線したり、大きな地震だったことを
Julieから聴いて怖かった思い出もあったり

<あのとき(3.11)同じ客席にいた関係者の証言>
客席にいた〇キノさんは建物の中にいたほうが安全と思っていたり
助手の○タオカさんが舞台監督に言いに席を立った瞬間に客席がみんな動いた

客席の後ろの状況はわからなかったけれど
私は会館の壁が軋む音や地鳴りの音で天井が落ちてくるような恐怖で
早く逃げ出したい思いだったけれど真ん中の席でそうもいかず
そのとき周辺は、みんな冷静で舞台監督さんの指示がでてから
みんなと一緒に非常口から避難した

舞台監督が舞台にでてきて客電がついて
出演者も全員客席におりてお客さんと一緒に避難するようにと告げられた

舞台監督さんとJulieの会話は目の前で見ていたのに聴こえなかったけれど
「なんでお客さんとこに行くの僕そんなのイヤ」 なんて誰かさんはふきだしがでていたもよう
Julieが客席の方に手を向けてお客さんを先にみたいな仕草はそんな理由だった?
風の便りで、避難して外にでたときにJulieのそばに行ったフアンもいたそうで・・・・
   
タバコ(ネオシーダ)を吸ってる場面だったので火の始末に困った
バーカウンターに灰皿はあるけど危険だからといわれたので戻れなく
避難する途中に灰皿がなくて
楽屋は禁煙、楽屋口の喫煙場所に行ってようやく消すことができたそう

佐野市は会館は停電にならなかったけれど宿泊先のホテルは停電
主催者のマイクロバスで帰ろうとしたけど東北自動車道も通行止め、一般道もタイヘンそうだし
あれやこれやで、連絡とるにも電話が繋がらないので全員ホテルに泊ることになったそう

宿泊先は踏み切りの近くで、停電なのにずっと閉まったまま鳴っていたそう
余震が怖いのでホテルで毛布をもらって、それぞれロビーのフロアーだったりソファーだったり
余震で揺れて外にでようとしても自動ドアが開かないので手でこじ開けて
開ける仕草を実演していたJulie

私がいた避難先では停電なのに自動ドアが作動していて
ひとが出入りするたびに、外の冷たい空気が入って凄く寒くて
自動で開かないように手動にしてくれていたり

Julieは7階の部屋だったそうで、エレベーターが止まっているので
余震の心配もあり1階のフロアーにいたそう
女性の出演者も全員1階に
関係者の男性たちは停電の真っ暗な部屋で寝ていたひともいたもよう

余震がきて携帯のアラームがなって逃げたときの様子
揺れたらさっと動いて
自動ドア手でこじ開けて
夜空見上げて 星がキレイだ~
寒い~
こんな行動を何度も繰り返したと実演つきで報告してくれたJulie

そんなJulieから数キロ離れた佐野駅で帰宅困難になった私は
配布された毛布に包まってパイプ椅子に座って
Julieは今頃どうしているの?そんな話もつきて
揺れるたびに逃げる体勢になってドキドキして
それでも一度も外へでることもなく、毛布にくるまって真っ暗な町を夜通し巡回している
パトカーの赤いランプをながめたりして
真っ暗闇の中の赤いランプ、妙にキレイなんて感じていたり

余震で何度も外にでながらも、繋がらない携帯で連絡をとり続けたそう
男性の役者さん二人はずっとお酒飲んで芝居の話をしていたそうで
女性の役者さんに静かにするように言われたりJulieもうるさいなと思いつつ眠れなくて
開かない踏切がずっと鳴っていてアッカン アッカンって聴こえたそう

携帯の充電器をとりに真っ暗な階段登って7階まで上がって
怖がりだから誰かついてきてって思っても
○キノさんも演出助手の方も部屋でぐっすり?お休みになっていたそうで

だから真っ暗な階段ひとりでのぼって、7階まで行くうちに汗だくになって
部屋に入って充電器みつけた瞬間に「停電や、停電でどうやって充電するの」と
笑い話のようなほんとうのJulieのお話でした
横でうるさくて眠れず
余震で何度も外にでて、頭がぼ~っとしていたJulieの行動

7階まで階段あがるJulieの様子

計画停電やら余震やらで自宅のエレベーター怖くて使用せず
階段のぼったり降りたりしたことなど思い出しながらJulieの話しを聴いてたり
私が避難していた場所は自家発電機?があったので、いろんな携帯の
充電器用意してくれて、みんなで順番で充電できて助かった
    
*私のいた場所も朝になってようやく電気もついてテレビもついて
ラジオでしか知らない昨日の出来事が未曾有の出来事だと知って
空腹感があったのに配布されたお粥は全部喉をとおらなかったり
Julieと役者さんたちは翌日、東京までマイクロバスで
途中で反対車線を救急車とパトカーが数十台も連なってすれ違った
こうやって話せることぐらいですんでよかったって

<被災地への想い>
ほんとうに真っ只中にいたひとはタイヘンんだったと思う
今もタイヘンだろうけど、代わりになれないけど被災地に気持ちは送ることができる
関東もいろんなことで影響を受けているから、自分たちができることやりつづけないと
義援金を出すこと、集めることはいいことだけれど、ひとから集めることはしたくない

フアンのひとから集めることは僕にはできない
出すなら自分で、できないならやらない
誰もやらなかったら自分がやる

義援金、すごい金額が集まっているのに、いまだに被災地に届かない
ボランティアも継続することが望ましい
いつもどおりできるひとはいつもどおりやったほうがいい

義援金をおくることも方法のひとつだけど

私は普通のことをしながら被災地のモノを買って間接的に復興へと繋げて
想いが届く近道のような気がしたから

<今年の夏の心配から昔のこと>
子供の頃は氷で冷やす冷蔵庫で砂糖水を冷やして、それが唯一の楽しみだった
庭で行水したり、母親はてぬぐいをゆるくしぼって肩にかけていたり
研ちゃんもしなさいって言われて
ひゃっこいなって可愛くその頃の研ちゃんを再現してくれたJulie
うちにお風呂もなかったのでタライにつかって
洗濯もタライでして泡のたたない石鹸で足で踏んだりして洗濯する姿の実演つき

電気洗濯機のこと、しぼり機で厚いジーパンを絞る様子を実演
タライで行水もして同じ時代を経験している私、懐かしいあの頃に戻れたり
お母様のことを語るときはいつも研ちゃんになるJulie

<節電のこと>
年を重ねて、眩しいものに対応できなくなってきているので
薄暗いけど、これで充分だと思える
計画停電も不公平
県庁所在地や外国の領事館があったりすると停電にならなかった

*計画停電で地元の地下鉄は走らない時間帯もあったり
ローソク準備していたけれど自宅の電気は消えなかったり
住んでる場所によってそれぞれの計画停電だった

<体のメンテのこと>
地方に行ったときは喉、声帯も診てもらったりする
遠くに行くときはその場所の診察券をオサイフに入れて持っていく
神戸で歯が痛くなって診てもらった、歯を削る音、あの音が好きだそう
若いときにかぶせた歯、削ってもらったのに、どっちだかわからなくなっちゃうJulie
最近は神経も高齢化してきたそうで
秋までの期間にあれやこれや体のメンテナンスをするそう

<ザ・タイガースのこと>
今日のお題のこと、「ザ・タイガース君だけに愛をとはとわに、ああ花の首飾りとは」
タイトルつけたひと曰く、このタイトルは各自が自由に受け取っていいらしい

ザ・タイガースをやりたかったと過去形のJulieからの報告
やりたくないひとが悪いわけでもない

自分のやりかた、考えかた、生きかたで
自分も含めて、それぞれがそれぞれの人生を一生懸命にやってきた
ザ・タイガースは確かに凄かった
ザ・タイガースを知っていても観ていないひとのほうが多い
そのときに生まれていなかったひとがたくさんいる
今だったらたくさんのひとが観にくると思う

ザ・タイガースを本当の意味で残すためには
みんな(ザ・タイガースに関係したひと)が何のわだかまりもなく集まることが大切
僕はザ・タイガースに奉仕する気持ちだった

集まったひと、それぞれが意見が違った
最初は5人で始まり、カツミが抜けてシローが入った
カツミがいなくてもシローがいて業界的にはそれでもザ・タイガース

自分たち(4人)は「全員そろわなかったらやらなくてもいい」と思った
チャンスはあると思う
裕也さんと ザ・ワイルドワンズとやって 今年の予定はザ・タイガースだった
ザ・タイガースをやることでザ・タイガースという名前がより大きくなる
やらなかったらザ・タイガースは過去のものでしかない

<ピーの出版記念パーティーでのこと>
記念写真におさまるとき、嫌な気分にもなったりしたらしい
大昔、横浜のコンサートで誰かさんが言った言葉を思い出した瞬間だった

秋からのコンサートは全部ザ・タイガースの曲を歌ってくれるそうで
知らない曲もあると予告してくれたJulie
知らない曲はザ・タイガースをまだ観た事がないひとたちに向けて?
60歳になる前からずぅっと考えていたそうで、3年以上も前からあれやこれや
ザ・タイガースに想いを馳せていたJulieのようでした

メンバーの嫌なことは止めようと思ったそうで
この年になって人に合わせるのはたいへんだから
できなかったら今までどおりにやっていけばいいと

相変わらずのJulieも続行していってくれそうな言葉が嬉しかった

何歳になったらできるのか、このまま終わってしまうのかわからない
でもザ・タイガースをやりたい気持ちは全員がみんな同じだと思う

「返事をくれないひ」と「やり方」が違うだけらしい
みんな譲れないところがあるんだと思うって
ザ・タイガースにならなかった理由を教えてくれて

<お酒のこと>
昔、ピーはお酒が一番強かった
2度倒れているので今は身体に気をつけながらだそう
今一番強いのはサリーと僕
昔マージャンは強かったけどお酒は飲めなかったのに
そんなサリーが今は最後までつきあってくれるそう

こんなにお酒が強くなっていいのかしら?って
でも成長の糧だからって

40年経って、昔の仲間とお酒を一緒に呑めるようになってよかった
ピーがラジオにでるときはタローからメールが届いたりするそう
    
<テレビでのこと>
ベストテンで毎週いろんなことやらされた
♪六番目のユ・ウ・ウ・ツ♪の鬱が書けないからカタカナにしたのに、書けますかと訊かれて
あの頃、鬱という字が書けて何になるのと思いながらやっていたそう
沢田研二ショーでもいろんなことやらされて。。。。
当時を懐かしく失敗も反省も含めて思い出していたJulieだった

テレビから消えていく方向になって実演派になった
失敗の数ほど成長していく
体だけじゃなくて中味も知らず知らずのうちに成長していく
人間のふくらみが蓄積されていく
それで今の僕があると中味もまあるいカーブも含めて自分を分析するJulie

<歌詞について>
阪神淡路大震災のときに「♪自信がないという・・・・」の歌詞を歌っているときに
地震の文字が思い浮んで、こんな歌を歌っていいんだろうかと思った
♪僕は決めたけれど 君は自信がないと言う~
Julieが口ずさんだときに♪Dont' be afraid to LOVE~が頭に浮かんで
Julieが作詞した曲でした

<今思うこと>
日本が滞ることがないように 日本の歩みをとめないように 続けるために
こんなときは元気な人間がいつもどおりにやることがいい 
今自分たちがいる場所をまもることしかできないけれど
ココロの準備はしておいたほうがいいって

一日も早い復興をと思っているけれど
タイヘンな経験をしたのだから急がなくてもゆっくりでいい
そんなに頑張らなくていいと

元気なひとには普通に聞こえても、弱っているひとには届かないのではと僕は思う
だから一日も早くでなくてもいい 「いつかでええねん」
みんな若くないから間に合わないひとがいても「ええやん」

*数年前に前を見ることがわからなくなってゼロよりマイナスになったときに
センセイから同じような言葉を聞いた私だった
      
<お芝居を中止にしなかったことについて>
こんな時期にこんな事をやっていいのか、と思ったけれど
できない時にはできない、しょうがない、と思う
止めたひともいたけど ガラガラでもやったひともいる
どちらも正解、横並びになる必要はない
夏場の昼公演を自粛するような傾向だったので
できるときにはやったほうがいいと思ってやった

流行りモノで物事がすすんでいくことがないようにと心配しているJulie

<トークショーも10数年>
チラシを集めたらどんなものを作っていたんだろうって
この先ずっと続けられるかわからない
こういう時期にトークショーをやるのはつらい、汗をふきながらの気持ちでやっている
こんなときに来ていただいてありがとうございます
身の回りにたいへんなことが起こらない限りは相変わらずがいいと
どこかで休むと動き出せなくなって止まってしまいそう

<好感度>
上げていくというワザを持ち合わせてない
どちらかと言うと嫌われるように。。。。
選ぶのはみなさんだから
選ばれたんです・・・・
選ばれ続けるかどうかわからないけど 

<あれこれやっても40年は続かない>
考え方を少しづつ変えていく
みなさんもそうやってきたんだろうけれど、対応できないひとが病気になったりする
世の中からみたら病気になるひとのほうがノーマル
僕らみたいにうまくコントロールできることのほうが異常なんだと思う

<フアンについて>
毎回毎回審査をうけているようなもの
おもしろくないとか、もう来ないって思っても来るのは・・・・
世の中ではこれがフアンというもの、世間にフアンだと思われるのも考えもの
いつかは変わっていかないといけないでしょ?
ファンのためにではなく自分のためにやっている
応援してあげてるというのは嫌だ、と

ファニーズの頃はフアンが少なかったから「大事だった」
人気がでたら ナマイキだと言われ、失敗もいっぱいしてきた
ありがとうも絶対言わない

これもひとえに私の努力の賜物です(客席で拍手するひともいて)
拍手の意味は?
こういうしらっとした関係がいいねってJulieは言う

Julieがいう平行線の間隔を保ちつづけていくのが望ましい?
ひとによって、その間隔の距離をすごく短くしているひともいたり
その距離を短くすればするほどJulieから遠くなるような
つかず離れずのJulieとの関係
お互いにおじいちゃんとおばあちゃんになっても、そんな関係でいられたら最高

働くことで自分が成長していくことを感じながら
これからも自分の考えをちょっとづつ通しながらやっていくそう
「見えないところで切磋琢磨しながら・・・
いざと言うときのための心構えを忘れないように」をココロに刻んで

富士の間の余韻の締め
今回は時間をもてあますこともなく、予定時間を5分オーバーして終了

お題のことより あの日の体験談に多くの時間をついやしたJulieのおしゃべり
それでもちょっぴりJulieのザ・タイガースへの想いも聴けて
Julieと一緒の空間で生まれて初めて体験したこと、Julieが貴重な体験談として語ってくれて
あのとき怖くてその後に再びあの同じ席でJulieが演じるとこ観る勇気がなかったけれど
Julieの体験談を先に聴いていたら、あの日と同じ席に座れたのかななんて思ったり

5月11日 記



◇平成23年5月10日(火)雨 帝国ホテル大阪 孔雀の間
ディナー18:00~19:00
トークショー19:15~

i
5月8日東京のトークショーでザ・タイガースへの想いをJulieから聴いて
5月9日に2011年1号のJULIE INFORMATIONが到着して
秋からのJulieのLIVEツアーに
瞳みのる・森本太郎・岸部一徳の元ザ・タイガースの3人の名前がゲスト出演の形で発表された
9日現在オフィシャルは更新されなかったので
この事実は澤會やココロに登録しているひとだけに知らされた
その翌日にまだ大阪のトークショーがあったので
とりあえずトークショーの内容のことは書かずにおこうと

で、その翌日、大阪のトークショーで不在中に
オフィシャルも更新されネットをしている澤會やココロに登録していないひとにも
JulieのLIVEに3人がゲスト出演することが公表されて
だからこそ大阪のトークショーではお題のつづきが注目されたのかしら?

昨年は10年ぶりに足を運んで今年は3回目の大阪のトークショー
今年は10年前と同じに宿泊もここ
雨模様、部屋の窓から赤い観覧車もうっすらグレーのベールかぶって 
10年前にJulieが部屋から観覧車が見えるって言ってたっけ

♪雨 雨 降れ降れ 母さんが・・・・ なんて歌って
♪あの日も雨 だったかな 

そんな10年前のことなど思い出しながら16階の部屋でのんびり過ごして
友と廊下で待ち合わせし階下へ
時間ギリギリに行ったので、すぐにチケット受付窓口へ

東京の帝国ホテルと違って、ひとりひとり席まで案内してくれて
テーブル番号書いてあるから案内は不要だけど
少し前方のはっじこから2番目のテーブル
斜め方向からJulieを拝見することに、カーテンの前あたり
トークショー数年ぶりの前方テーブルにちょっとわくわく
知ってるひとに挨拶したり、されたり、入り口で記念写真撮ったりしながら
孔雀の間入り口
ディスプレイされたお花もなく ちょっとさみしい雰囲気も昨年と同じ
大阪はお花が賑やかでなくてもテーブル席に座るひとが賑やかな雰囲気?

テーブルのお花 東京のようにグリーンを基調に


隣の友人たちが到着が遅かったのでディナーまでの間
一人乾杯も寂しいので美味しそうに飲んでる左側のひとたちに話しかけて
黄色のリストバンド、Julieもつけていること告げたら
昨日届いていたのにつけてくればよかったと残念そうでした
若くてキレイな奥様ではなくダンナ様がJulie好きでした 

ワカモノ男子がJulieのこと好きになったときのエピソード
あるとき大阪ミナミのディスコでのこと
オープンイベントのゲスト二人のあとに
穴あきジーンズにTシャツそして毛皮を着たJulieが登場
Julieを紹介する歌手も人気ものだったけれど、その紹介の仕方にココロ打たれ
登場したJulieが超カッコよかったそうで、その瞬間から今日までだそう
ワカモノ男子が少年でJulieが毛皮を着ていた頃だとPYGの頃かソロになってからかな
毛皮のコートを着ている頃、どっかで。。。。
遠い記憶のいつだったろう、毛皮のぽっけの中とか。。。。
その頃のJulieに想いを馳せながら あれやこれや グラスが何度かかわって

赤ワインのグラスに、もうひとつのグラスとテーブルのお花も写って

サーモンと海の幸のミルフィーユ 彩りの野菜を添えて

クリスタルコンソメスープ タピオカを浮かべて

メニューがお魚になっていなくて残念、お魚は何て名前だったか聞くの忘れた? 

バラが香るライチのムースに赤い果実ソースを添えて
いつもデザートゆっくり味わえなくて残念

昨年は後ろの一番はしっこ、今年は友が数分で繋がって、ようやく数列前進して
東京よりちょっと多い?全部でテーブル51ぐらいだったかな
いつも、一番後ろの席でもメイク直しするのに
せっかくの前方だというのに、鏡を見ることもすっかり忘れて
どうせ見ていないし。。。。
それでも、やっぱりメイク直しに席をはずして行列に並んで
席に戻ってデザートあわてて食べてコーヒーもそこそこにみんなオシャベリ聴く準備

いつか、どこかのトークショーで
皆があんまりメイク直しに時間がかかって
カーテンの向こう側で、じっとスタンバイしてなかなか出て行けない
なんて待っていたJulieだったけれど
今日もカーテンの向こうで覗いているかしらなんて
後ろの出口よりカーテンのそばだからあれやこれや
椅子の向き90度かえたら隣のテーブルの方、昨年後ろのテーブルでご一緒した方でした
あれやこれや話しが盛り上がってJulieをお迎えする準備万端

♪緑色のKiss Kiss Kissが流れる中、Julie登場
もうネットで登場曲も知れ渡っているから?東京より手拍子もきっちりそろって
下手、上手、真ん中へお辞儀
客席見渡し、いきなりあとずさりして舞台のうしろのカーテンのところまで下がるJulie
カーテンに隠れてくれたらもっと面白かったのに。。。。
客席がずんずん押し寄せてくるから、ずんずん下がっていくって 
みんなが椅子の移動して前進していく様子見ていた?
登場していきなり大阪バージョンのJulieでした

東京と同じ方向からJulieのお姿拝見、髪は栗色、探偵さんと髪型違っていい感じ
薄紫のグラデーションのひらひら、くっきり見えて
濃い紫のズボンに紫色のシャツにビーズみたいな模様も見えて
東京では遠かったから、そんな細かなところまでついつい確認しちゃって

そして、お題で今日がトークショー初めてのひとも多かったようだから
今回は特に押し寄せるくらい来ていただいて
嬉しいやら迷惑やらよくわからないなんて大阪ならでは?の挨拶も

<被災地への想い>
日本は今たいへんなことになっているけど、関西も阪神淡路大震災経験して
日本は地震の多い国だったこと、やっとこの年になって自覚した
僕は何もできなくて、気持ちだけは送っているつもり
ああいうところに行っても無力なだけだから
自分のできることをいつものようにやっていくのが自分に合っている

震災に関すること、すり抜けるわけにはいかないけれど
世の中のために何かができるとは思っていない
期待されるより、小言ジジイ、ヘンナひとと思ってくれたほうがいい

*ああいうところに行っているひとそれぞれだから
でも、もし私が被災地にいてJulieが来てくれたら嬉しいって思うかなぁ
そういうことしないJulieのこと好きって 今回テレビを見ていて改めて思った
私は個人的なことで被災地でハーモニカ吹いたひとに涙がでたけれど

<被災体験談>
今年はたいへんなことになって
僕たちは誰も怪我することなく無事でよかった
被災地の方たちとはくらべものにならないけれど貴重な体験をした

佐野で探偵~哀しきチェイサーという音楽劇をやっていて
前日に初日を迎えて、次の日の昼の部、始まって一幕の4場
♪フラレ男のヨーデル
ノーテンキな歌を歌う前に芝居をやっている最中に揺れてきた

バーカウンターでタバコ(ネオシーダー)を吸いながら
揺れて、地震やわ~と思いながらやっていて、すぐに揺れがおさまると思っていた

舞台の天井につってある照明が大きくヘン拍子で揺れて、どんどん複雑なリズムになる
照明がガチャンガチャンと揺れている様子を擬音で再現するJulie
セリフがなかったのでタバコを吸いながら
もうおさまるだろうと思いながらもどんどん揺れが大きくなった

「何があったんや」というセリフのときに凄い揺れて
酔いつぶれている演技する吾郎君がまだやるのって目で訴えたそう
そんな僕のこと見たって止められないし、そんなにみつめるなよと思っていたJulie
袖を見たって誰もでてこないし、早く誰かでてきてと

*揺れている中で、吾郎ちゃんやママさんの目で訴える様子を観察していたJulieだったのね
あの時、客席で揺れながら真正面のJulieだけみつめて、早くお芝居やめてって思ってた

そのときには客席が暗いので、どんな状態か見えなかった
やってる人間がこんな年なので、観に来ているお客さんもそんな年齢で。。。。

やっと舞台監督がでてきて、客席の電気がついたら、ザワザワして凄いことになっていた
舞台は吊りモノがあるので、舞台から降りてお客さんと一緒に避難するように促された

*あのときの手の仕草は「絶対そんなのイヤ」って吹き出しがでたJulieだから
お客さんが先に出て行ってもらうようにの仕草だったのね

それからタバコの火を消すのに全館禁煙なので灰皿さがしてあれやこれや
楽屋口の外にある喫煙所でやっと火を消したそう

建物はしっかりしていたようだけど、壁の剥がれたものがパラパラ落ちてきて
お客さんも動いていいものやら、僕は悪運が強いから冷静でいられた

2日目だったので客席に○キノさんと演出助手の○タオカさんもいて
あんまり揺れが長いので止めるように席を立ったら、その瞬間にお客さんがみんな動いたと

*会館は客電もついていたのに駅まで30分の道のりはみんな停電で真っ暗だった

Julieたちは会館のある地域は停電にならなかったので
その近くで食事して、それから停電のホテルに移動したそう
ホテルにはJulieたちのほかに横浜からきている男性だけで
ホテルの従業員とJulieたちはロビーで過ごしたんだって
町内会長のように、あれやこれや毛布配ったり働き者のJulieだったそう

余震がくるとまっさきに自動ドアを手で開けて外にでて
寒かったけれど、空を見上げて星がキレイやな~(乙女のようなJulieにヘンシン)
あ!オリオン座(またもや乙女Julieになって)などとつぶやいて
で、現実にもどって、中に入ったそう
Julieたちはこの動作を何回も繰り返したんだって
    
*このときのことアキラ君がTwitterで報告してくれていたこと
翌日佐野から帰宅した後に知った

最初のうちは余震がくるとみんな外にでたけれど
部屋に帰って眠るひともいればお酒飲んで演劇の話をしているひともいて 
ずっとついてるラジオの音よりも大きな声で芝居の話をしていたそう 

こんなときにそんな話しするか~ってふきだしがでたそうだけど
Julieの真横で話をして
ときどきは子守唄のように聞こえたりうるさいというママさんが登場したり
町内会長さん、あれやこれやで眠れなかったもよう

「寝られヘンときには食うしかない」と思う町内会長さん
お弁当がお米ばっかりだったけれど、ありがたかったって
アキラくんがお弁当配ったりしていたそう

「ほんとに悲しいとき、つらいとき、人は笑うんやで」って
Julieが語った例え話はふせておこう

携帯で事務所に連絡したり
7階の事務所、棚にあったJulieの資料が全部散乱したそうで、最初は全部かたづけたけれど
余震でまた散乱して、泊り込んでいるシャチョウがこのままにしておこうって

*あの日、佐野で一晩過ごして7時間かけて帰宅したら耐震構造の我が家も
物が散乱していて、余震が何度もきたので、いまだにそのままにしている物も

<夏の節電のこと>
クーラーの外気熱でそーめんゆでたらいいとか
ガスでご飯炊いたら焦げちゃったなんて失敗談も

*私は随分前にやって真っ黒に焦げて、失敗したからご飯は炊飯器が一番 

<ザ・タイガースのこと>
可愛いだけではやり抜けないと気づいていった
自分の中でいろいろ選択をして、あるときは洗濯もしながら(大阪バージョン?)
失敗もいっぱいして今に至っている

昔は熱病のように凄かった
明治チョコレートの人気投票ではどこでも一番
森永の人気投票はテンプターズが1位だったかも
週刊明星、週刊平凡でもザ・タイガースは凄い人気だった

ザ・タイガース、カツミが抜けてシローが入って6人
6分の1だとしても凄い人気だった
僕がひとりになったときには6分の1にもならなかった

<ソロになってから現在まで>
Julieの努力の甲斐があって、ふたたび熱病気味
でも問題を起こすことが多くて・・と、その当時を振り返って
ずっと・・・・・とばして時代が変わっていき、その中で模索して
あれやこれやしてマスよりミニの世界でやっていくことを決断し
テレビの世界から実演の世界へ

<プライドと誇り>
一番捨てやすいのはプライドだそうで
プライドがなんぼのもんじゃと。。
でも誇りは持っている、プライドはやっかいなもの

*プライドと誇り、Julieの中では感じっこで違うらしい
プライドを捨てきれないひとのこと言いたかったのかなぁ

<ゴマシオのこと>
DNAによって少なくなることもなく でもちょっとづつ後退しているらしい

<応援のこと>
野球選手の「応援よろしくお願いします」というコメントがお気に召さないようで
プロなら応援されんでもがんばれ!ということでした
あとオレンジ色のタオル軍団のこと、ファンのタオルをこうしてと実演つきで
ああいうのもお気に召さないJulie
じゅりわんのときの大きく腕を振る仕草もイヤだったのかも

*秋からのLIVEに向けて、参加するひとの心構えのことかしら
いつもと違うひと3人もでるから、いつもと違うことされるの心配してのこと?
じゅりわんはワンズとJulieだったからちょっぴりワンズ色にもなったけれど
秋からのLIVEは3人がゲストだけど、いつものJulie色でと切に願う私
ツアータオルは首に巻くぐらいにとどめておいて
JulieLIVEは、うちわや小物など応援グッズなどいっさい不要なので
けしてタオルなど宙に投げないようにお願いします
キレのある手拍子と黄色に近い声援だけあれば、足腰鍛えて秋からのLIVEに参加しましょう

<秋からのLIVEのこと>
ほんとうは1月6日に発表する予定だったけれどひとり参加できない人がいて
全員の気持ちがひとつになったらいいなと思っていた

ザ・タイガースはワイルドワンズとは違うからと

ツアーは最初はザ・タイガースでやる予定だった
大阪城ホールを予定していたのに
沢田研二の名前にしたらグランキューブに変更になり
名古屋もレインボーホールから芸術劇場に変更になったようで
これが現実としみじみ語るJulie

*世間の評価ってそんなもん?
Julieの口からそんなこと聴いてJulieの表情しみじみ見てたら涙がこぼれた
ザ・タイガースがなんぼのもんじゃいって、ちょっと悔しかった
東京ドームでやるときも、シリゴミしたイベンターがいたけれどあのときと同じ評価?
    
しみじみさせておいて
「1月24日は武道館でやります」って嬉しいことを言ってくれたJulieでした