<2009年>

沢田研二が語った横浜への思い


1月1日付朝日新聞 神奈川版より
2008年に還暦を迎えて翌年の元旦に「歌」と「横浜」について語ってくれました。

Julieが横浜に住んで20年経ったときの感想は
人情深い街で空が広い」

東京にいたころ、「本牧にすごいバンドがいる」って聞いて、
テレビ出演の後、車を飛ばして見に行きました。
それがザ・ゴールデン・カップス。
彼らはお客さんとすぐ近い所にいて、メンバーの1人はアンプの上に腰掛けながらやってた。
「何なのこれ。カッコええ」って思いましたね。

カップスのデイヴ平尾さんらに「ジュリー、横浜に住めばいいじゃん」
「みんなジュリーのこと大好きだしさ」とか言われて。
そうやって住むようになって20年くらいになります。

横浜に暮らして思うのは、人情深い街で、空が広いなあ、ってこと。

最近、よく歩くようになって、発見も多いんです。
谷戸坂からマリンタワーが一番よく見えるってことに気づきました。

地元では買い物にも行きますよ。
本牧のつるかめランドからイトーヨーカドー、それからグルッペ本牧。

ニューグランドのバーにもよく行きました。
ダイスのうまい名物バーテンダーがいてね、サイコロ高く積み上げる技を何度も見せてもらいました。

横浜の歌もたくさん作ったなあ。
ランドマークタワーとか、

本牧ふ頭とかが歌詞に出てくる。
本牧ふ頭あたりからは昔はしょっちゅう霧が出てたけど、最近は気候が変わったのかなあ。
本牧通りを上がってくると、
夜空に映える独特なハーバーライトのオレンジ色が見えるんですよね。

伊勢佐木、野毛、馬車道、長者町通り……。何回歩いても、
よくわからないごちゃごちゃした通りって好きなんです。

中華街もまだ隅々行けてない。


「1日でも長く歌いたい」
大みそかの夜はいつも、日付が変わる瞬間に「はい」って家の窓を開けるんです。
中華街の爆竹の音、港の汽笛の音、近くの寺のちょっと高い鐘の音……。
みんな聞こえてくる。

遠くには八景島の花火も見えます。

もうどこに引っ越そうって思わない。
横浜ですね。
横浜でお墓を探さないとなあ、なんて思ってます。

正月が明けたらライブが続きます。
また走りまくりますよ。
1日でも長く歌っていたいし、まだまだ歌いたい歌がある。結局走り回るんでしょうね、僕は。
(ホテル・ニューグランドにて)



続いて新聞の最初の記事
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横浜に20年 還暦ジュリーは止まらない

愛、夢、人生、そして平和への願いを艶やかな甘い声にのせて歌い続ける男、沢田研二さん(60)。
横浜に住んで約20年、還暦を迎えたジュリーが「歌」と「横浜」への思いを語った。

昨年60歳になりました。
還暦を記念して大阪と東京で「人間60年 ジュリー祭り」と名付けたコンサートを開きました。
12月3日のドームでは6時間、80曲を歌いました。
冷や汗も含め、全身汗びしょびしょでした。

60歳でも歌っているとは想像していなかった。誰も想像していなかったでしょう。
だからチャンスだろう、って。
還暦っていったらジジィでしょ。ジュリーと言われた男が、ですよ。

実際、何曲かは歌詞がでてこないとか、ぼろぼろになってた。
ただ、3万2千人のお客さんからパワーをもらって、やりきれる自信はありました。

ライブのよさは予定調和じゃないところ。
実際の力以上のものが出せたコンサートができたと思っています。

避けていたこと言える
18歳でデビューして42年。CDは売れなくなった時期もあった。
でも、売れなくても、TVにでなくてもライブを続けてきました。

いつまでも「セクシー」で「派手なこと」をするジュリーでは限界があるんです。
捨てていくものは捨てる。

「期待されてもそれは無理です」って言える冷静さがないと続かないですよ。
あきらめるところから新しいものが始まる、とでもいうか。

昨年5月に出したアルバムの9曲目は「我が窮状」。
憲法9条を守りたい、というメッセージを込め、分かる人には分かるように作った曲です。

今まで避けて通ってきたことを言えることってあるんですよね。
年をとることのよさを楽しめるようにならないともったいないでしょ。
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この記事を読んだ9日後に渋谷のC.C.Lemonホールで観たJulieは
私にとっていろんな意味で格別なJulieだった。

前年2008年に2大ドーム(東京ドーム・京セラドーム)で5万4千人ものひとを感動させ
60歳で誰も経験したことがない80曲を歌いきった。
私も6時間以上の長い長いコンサート、休憩時間以外一度も椅子に着席することなく
80回以上のJulieコールをして

40数年Julieを楽しんできて何もかも初めてづくし、Julieといっしょに初めての体験を無事に達成できて。

今あらためてこの記事を一文字づつ打ち込んでいたら最後のJulieの言葉がココロに残った。
明日、50代後ろの方の誕生日を迎えるにあたって私もそう思うことにしようって。

2011.7.8 記